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Interview

定期的に更新するインタビューのページです。Webクリエイターだけでなく、
さまざまなジャンルの方々のインタビューを掲載していく予定です。


02 清水隆史

2005.10.11 [ Artist ]

清水隆史

奈良から長野に移り住んで16年。長野の文化発信地であるライブハウス/小劇場/フリースペース・ネオンホール代表を務める清水隆史氏は、フリーライター、カメラマン、イラストレーター、バンドのベーシスト、音響エンジニア、パーソナリティと様々な分野で活躍する長野のキーマン。特定の職業に属さないスタイルは、まさに「清水隆史」そのものが職業である。そんな清水氏に、ネオンホールのスタートから現在・未来まで語ってもらった。

インタビュアー/坂田大輔 写真・編集/ハラヒロシ

─まずは、ネオンホールの立ち上げについて聞かせてください。

大学(松本市)のときから演劇・美術をやっていて、その当時からいまのスーパーネオン(注・年に2回行われれるネオンホールのイベント。ライブの他に演劇や映像、パフォーマンスなど様々なジャンルの出演者が集まる。)のようなことをしていました。当時、松本の信大ではアンダーグラウンドな活動が盛んだったんですけど、長野にきてからそういうものがなく、自分自身の居場所が見つけられなかったんです。長野にも自分の居場所が欲しいと思ってました。そんなことをずっと思いながら、3年のときにふと伊那まで、昔の仲間に会いに行ったんです。そしたらその彼女の作品がすごいことになってて。廃屋で廃材とかを使った作品なんだけど、これを長野で展示したいと思いました。でも普通の貸しギャラリーではこの魅力は伝わらない。彼女の作品はひと月ぐらいかけて生活しながら制作して、その場所自体を作品にしたほうがいいと思ったんです。で、場所を探して市内の空き店舗を物色しはじめたら、これが楽しくて。そのうち、彼女の展示のあと自分で住んで使えるんじゃないかって思い始めた。3人ぐらいで集まって暮らしたら面白いかなって。ネオンホールの物件はそんな中で見つけました。最初は大家がわからなくて難航したんですけど、雰囲気が気に入って、勝手に入ってコーヒー飲んだりしてました(笑)。借りられるようになったのは 3、4カ月経ってからです。彼女の展示はひと月ほどやりました。なんかイカれた感じですごく良かったです。

─それから、もうネオン一筋で?

1992年から始めて、本当は2年ぐらいで辞めようと思ってたんです。小さいころから先生になりたいという気持ちもあって…今でも少し思っているくらいですから。でも、ネオンホールの活動が楽しくなってきたんで、迷いが生じた。で、勉強も好きだったし(笑)大学院に進学するんですけど、どっちかというとネオンを続けるために宙ぶらりんの立場でいたいという理由がメインでしたね。元々ネオンだけで食っていけると思っていなかったので、大学院に通いつつネオンで芝居とかバンドとかやって、植木屋やレコード店でバイトしながら生活をしていた。けどそれじゃ中途半端だし…だんだんネオンホールだけで食っていけるんじゃないかな、という状態になったので、2年ほどで大学院は中退しました。

─奈良出身の清水さんがずっと長野にいる理由は、やはりネオンホールですか?

色々と理由があると思うんだけど、やっぱり一番最初にくるのはネオンホールかな。もっと広くいうと、ものづくりを通して地域文化に関わることをしたいと思って、ずっとここにいます。ネオンホールでは、わかる人だけ来ればいいっていうのではなくて、良いものを解るお客さんを増やしたい、育てたいと思う気持ちが強いです。偉そうですけど、何が面白くて何が高度な表現かっていうのをわかってほしい。表現する側のレベルがあがるために、お客さんもレベルがあがってほしいし、地域全体のレベルがあがってほしいです。

─自分の活動を通して、そのレベルはあがってきたと思いますか?

そこまで偉そうにはいえないですけど…。ネオンのために長野をどうこうではなくて、ある時期から、長野で起こっていることを分析してかみ砕いて、記録に残すことをするのが自分の役割かと思ってきました。よくいうんですけど、例えば新宿の90年代のロックシーンは多分、何らかの文献で残っているので、きっと50年後もその時代のことを知ることができると思うんです。でも、長野の場合はわからないと思うんですね。すごくシンプルにいえば、それってテキストで残っていればわかると思う。記録があればいい。記録が残っていなければ解析不可能だし、積み重ねることができなくて…文化として成り立ちにくい。もちろん無形の、人から人へ伝わるものも文化だけど、一方で記録や記憶を束ねていくことが大事だと考えています。いまは長野も色んなメディアが溢れていますけど、昔はそうでなかった。ネオンもほとんど無視されていたし(苦笑)、たまに取材にきても殆ど正確には理解してもらえなかった。そんな中で、ネオンホールをやりながら、他でやってることも見て、感じて、記録してつないでみたくなった。そういう思いから、メディアと関わる仕事をしていくことになったんです。

─清水さん自身も個人的な活動をしていますが、表現者としての考え方はありますか?

いまのところ、写真にしても絵にしても、自分がやってることは実はほとんど地域がらみです。長野に暮らしているリアリティを残して形にしていきたい。いまここにいるということが重要です。舞台表現としては、やっぱりライブハウスの規模が好き。地元のバンドのライブを観ても、意識して地域のことを歌っているグループも多いし、その背景が見える感じがいいですね。

─いろいろな肩書きがありますが、仕事の比重はどうですか?

最近は写真と物書きが活動の中心です。あとはやっぱりネオンホールか。高校のころ写真部に籍を置いたりしてましたが、本格的に写真を表現として向き合うようになったのは、7、8年前くらいに自分の部屋に暗室を作ってからです。最初は仕事にしようと思っていませんでしたが、ここ何年かでジワジワと比重が増していますね。

─清水さんは昔から日記をWeb上で書いていますが、Webという表現についてはどうお考えですか?

HTML2.0の時代からですね(笑)。自分はもともとライブのリアリティ、息づかいが好きなので、そういう意味でWebは対極にあると思います。表現手段としてはそんなに好きではないかもしれません。けれど、Webってそういう次元で話していいものではないと思っています。Webって年を追うごとに色んな事ができるようになっていくんだけど、実際はシンプルなテキストの比重がすごくあがっていると思う。あらゆる人が記録者になっているって意味でも、テキストが面白いですね。

─分析して体系的にまとめて、とどめていくというのはどこからでてきたものですか?

バックグラウンドとして、大学の専門が美術史だったからというのがありますね。歴史に興味があるんです。歴史は偉人が作るのではなく、実は歴史家が作るんだ、みたいな考え方が好きですね。

─清水さんのこれからは、どうなっていくとお考えですか?

うーん、難しい質問ですね(笑)。10年後にどうしていたいかとか…わかるようなわからないような。敢えて言うなら、10年後の自分が目の前に現れたら「えー!何それ!?」って声を上げてしまうくらい、今の自分には予想が出来ないことをやっていて、それでいてハッピーだったらいいですね。10年前にも同じようなことを思っていましたけど、そういう意味では予想の範囲内のことしかやってないかもしれません(笑)。突拍子もない未来を想像しながら、始めたことを辞めないで続けてきたと思います。だから今後もそうなるのかな…いや、どうだろ。

─長野で面白いと思う人はいますか?

たくさんいますよ。基本的に、人が好きだからそう思うのかもしれないけど…面白いと思う人はたくさんいる。最近は特に年季の入った職人さんに惹かれる事が多いです。ちょうど一年くらい前に「ながの職人探訪」って本を作るのに関わって、この仕事がすごく大変だったんだけど…年季のはいった技術者の知識や美意識を肌で感じる事が出来ました。長野に根付いた独自の方式でやっている人達を見て、感銘を受けています。もちろん、古い人だけでなく若い人でも面白い人がたくさんいます。多分人好き、人間好きなんです。写真でも人を撮るのが好きだし、記事も人について書くことが多いし…ネオンも含めて、人絡みのことばかりしてますからね。

─最後に。いろいろな肩書きを持っていると思いますが、「清水隆史」とは何だと思いますか?

よく職業について聞かれるんですけど、何て名乗ろうかいつも迷っています。「ネオンホール代表」と言われたりしますが、最近は「フリーライター」とか「カメラマン」を使っていることが多いです。でも便宜上言ってるだけで、本当は名付けられる職業に属したくないという気持ちが強いです。個人的には、なんだかわからない、名付けにくい未知の職業?に憧れがあります。色んな事をやりすぎて、ブレててもいいから型にはまりたくない。都合上「カメラマン」とか呼ばれてもいいけれど、実際は何でもない自分そのものでありたいと思いますね。

清水隆史
清水隆史
清水隆史

Profile

清水隆史 [ Takashi Shimizu ]
url :NEONHALL

1969年奈良県奈良市生まれ。信州大学在学中に演劇バンド「ヒエラルキー」などで活動しながらライブイベントを主催。1992年に長野市権堂にライブハウス・小劇場ネオンホールをスタート。長野のカルチャー発信地として広く支持を集めている。自身も数々の演劇に出演・演出を担当。また、音楽活動では1997年にボスダブを結成、さらには2004年にスロウライのベーシストとして加入し、精力的にライブをこなす。主な執筆・写真活動は月刊ながの情報「Nagono Diary(イラスト連載)」、タウン誌NaO「ナガノ・シーンウォッチ」連載、NaO別冊日和「Nagano Style(写真+コラム)」連載、信濃毎日新聞朝刊「アートさんぽ」隔週連載、刊日和にて「Nagano Style」(写真+小コラム)連載、「ながの職人探訪(長野市発行)」写真担当、ナノグラフィカ・奥山印刷共同企画「月刊 街並み」写真担当など。自身の写真展・イラスト展も開催。さらにはラジオのパーソナリティとしてFMぜんこうじ「Small Town Groove」の企画・司会パーソナリティ、NHK長野放送夕遊信州音楽コーナーのコメンテーターを担当。2003年には3人の仲間と共同で長野市・善光寺西之門に「ナノグラフィカ」(喫茶・ギャラリー・編集室)をオープン。

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