共通メニューをジャンプして本文へ移動

Interview

定期的に更新するインタビューのページです。Webクリエイターだけでなく、
さまざまなジャンルの方々のインタビューを掲載していく予定です。


14 宮内俊宏

2006.12.28 [ Producer ]

宮内俊宏

長野県内で初となるプロフェッショナルなレコードレーベル・ネーブルファクトリーワークスを率いる宮内俊宏氏。タテタカコ、ビーグルズといったアーティストを擁し、活動は全国規模で展開している。また、10月にオープンした長野発SNSサイトN[エヌ]をプロデュースするなど、音楽のみならず様々なアプローチで文化を開拓する仕掛け人だ。「閉塞感がある」と表現する音楽業界において、文化財として音楽を残していくこと、長野という土地に拠点を置くことなど、お話のなかから宮内氏が常々表現する「純度の高い」文化を創り上げていくためのベクトルが多々垣間見られる。

インタビュアー/id=Nagano 写真/ハラヒロシ

─レーベルのお仕事をされているということですが、具体的にはどんな仕事をされていますか?

具体的にはアーティストの発掘、育成から作品の商品化、ということになります。といっても、単にアーティストの作品を録音してパッケージにするだけではなくて、アーティストの表現をより強いものにするために日常的にコーチングを施したり、リリースのためのマネージメント、これはリリース時期やコンセプトを考えたり、サンプルや宣伝用のあらゆる素材を用意したり、けっこう細かい作業なんですが、とにかく、ひとりのアーティストを運営して行くために、あまり目に見えないコツコツしたプロセスがいっぱいあります。
けど、今いちばんの懸案、アイディアを費やしているのは、閉塞状態にある音楽マーケットで、消費されて終わるのではない、普遍的な価値を持った音楽作品を継続的にリリースしていくためにどのような方法があるか、ということ、その方法自体を探す作業かもしれません。

─それはいったい、どのような作業なんでしょうか?

といっても、具体的な作業のことではないですね。経済や社会の様子をマクロに眺めながら、これからどんな世の中になってくのかな、どんな世の中だったらいいのかな、とか、音楽はどうあるべきなのかな、っていうことを、プロダクションやリリースマネージメントの実務の中にアイディアとして少しずつ注入していく、っていうことですね。
日本の音楽産業は、特に1990年あたりからずっと、音楽の価値を貶める方向へ加速度的に進んで来ているんです。僕も一部そこに加担したということになるんですけど。首の挿げ替えだけしていれば事足りるような粗悪な音楽商品を次から次へ生産してきていて、ヨーロッパの音楽ジャーナリズムからは「クローンのような音楽ばかりが量産される世界でも珍しいエリア」という侮蔑的な評価をされて、けど、ほんとにそんな軽薄なものがマーケットを席巻していて、音楽の価値は限りなくゼロに近づいてってると思います。
一足早くアメリカのタワーレコードが終わってしまったけど、これはデジタル配信の影響や価値観の多様化っていうような問題以上に、90年代以降、薄っぺらい消費されるだけの音楽ばっかり作ってきたことが大きな原因だと思います。あ、もちろん、全部が全部そうではなくって、ちゃんと真価のある音楽作品も生まれてはいるんですけどね、ごく一部で。
それで、レコードが売れなくなって、今度はダウンロードでビジネスするんだっていう安直な幻想を抱いて、ここ数年、いろいろな方向からデジタル配信に殺到しているけど、実は、デジタル配信はぜんぜん伸びてないんですね。某最大手のダウンロードサイトも原価割れ。当たり前ですよね、公開されたWebのデータはもともとフリーが原則のものなんですから。逆に、音楽なんてデジタルデータで事足りるんだって、自分たちで目の色変えて肯定しているようなもので。 ともかく、もうそろそろ、そんな所からは抜け出さなきゃまずいっていうところまで来てて、音楽や文化をそういう流れから掬って違う流れに乗せようと、そのための方法を考えています。

─その音楽の価値の下落を回避する方法というのはあるのですか?

まだ見つかっていません。根本的なところは、音楽を文化財として存在させる、ということになると思います。音楽はもともと消費材じゃなくて文化財だったはずなんです。だから、もう一度文化財として存在させるように転換を計ろうということだと思うんです。けど、そのために何をしたら良いのか、具体的な方法はまだわかっていません。
文化財といっても、それが保護されないと存在できないような状況ではだめなわけで、その文化財がちゃんと生きていて、経済的に自立できる方法を持つ必要があるわけですよね?そのための方法を見つけ出さなきゃいけないと思うんです。
まだその方法はわからないけれど、じゃあ、だからといって消費に寄りかかったままで行こうっていうのはもうダメなわけで、だから、ともかく、まずは消費物から離れた所に音楽を置いてみようと思って、今いろいろなことを試しているところなんです。そこで、ビジネスとして成立する方法をできるだけ早くみつけようという、難題といえば難題ですが。良い方法を見つけるのが早いか、資金が尽きて倒れるのが早いか、サバイバルですね。

─消費物から離れた所というのは、どんな所のことですか?

いろいろな言い方があると思います。たとえば、東京は消費経済の象徴的な場所で、巨大な消費の集積ターミナルです。東京だけじゃなくて、東京に向いた多くの日本の都市もそうかもしれない。ひとつの方向へ向かって殺到することや、目立つ、という方向でしか考えられないメディアやコマーシャルの世界も消費そのものだと思うし、今やニュース番組も情報を消費しているだけのように思えます。いろいろな局面で消費は世の中を支配しているんですけど、つまり、そんなものから離れた所ですよね。トップページに名前を出すために毎日毎日あれこれ、手を変え品を変え話題を作ろうとすることや、実質の無いところに三行コピーや粉飾イメージであたかも価値があるように見せることとか、世の中のあちこちで回避するべきいろいろな嘘っぱちが盛んに行なわれています。

─つまり、東京へ行かないとか、コマーシャルに関わらないとか?

いや、東京行きますよ。コマーシャルやテレビメディアを拒否するという意味でもなくて、アーティストの質感が損なわれないための準備ができたらタイアップもするし。けど、クリエイティヴなものが生まれて発信される場所としては、東京はあんまり魅力がないですよね。どっちかって言ったら出来上がったものが集まる見本市です。なので、その目的であれば最高に効率的な場所です。テレビメディアも、コマーシャルも、尖っててカッコイイものってほんとに少なくなってしまいましたよね。けど、制作者には良いセンス持っている人も確実にいて、そんな人達をひとりでも多く発見して、少しずつ、価値のあるコンテンツが増えて、そんな良いコンテンツに文化財としての音楽を提供できるようになれば、大きな伝達の手段が確保できるっていうことになります。

─レーベルの本拠地は長野県飯田市ですね。

これも消費物から距離を置きたいという感覚から来ていると思います。ずっと東京で音楽制作に携わっているうちに東京から発信することに飽きた、という部分もあるんですけど、もう、とにかく東京はもう新しい文化を生み出す場所ではないって、90年代の末期に思って。東京も、もう、特に80年代の半ばくらいから、東京に文化の匂いのする街は無くなってきてて、最後が80年代初期の渋谷くらいかな、日本に本物のパンク・ムーヴメントが発生した唯一の時期で、まだ何か生まれそうなかんじがしてたのは。だから、もう今では壮大な消費の実験場っていう、地球を擦り減らして行くようなことしかできない街になっていて、煩わしい嘘っぱちが毎日毎日山ほど積み上げられるし、今ではとうとう六本木ヒルズみたいなものが象徴になっちゃって。こんな下品な街ではクリエイティヴな精神が住みつくことはできないなって。
それで、そういう場所から遠く離れてて、個性的なアーティストが生息できる余地があって、イメージのきれいな場所、ということで長野があって、その長野の中でも更に辺境であるということで飯田なんです。

─様々なミュージシャンやアーティストの卵の発掘というのもお仕事の一つだと思います。宮内さんがこの人ならいけるというポイントってどういうところですか?

主に、表現する本質を持っているかどうか、個性的な表現に結びつく素養を持っているかどうか、ということです。それは、そのときに行なっている表現そのものを判断するのではなくて、その個性が最大に影響力を発揮した時に表現としてどんなことが起きているのか、ということを想像して判断します。
一方で、その時に流行っているフォーマットやスタイルを上手に取り入れている音楽はまずダメです。その時点で既に誰かより後ろにいて、しかも、そういうスタイルに殺到する人口というのはとても多いので、その群れの中で競っているうちにトレンドが通過してしまってダメになってしまうことがとても多い。
だからとにかく、まずは個性です。それと、表現しようという強い動機があって、自分の表現を鍛錬しようという姿勢があること。このあたりがまず一番最初に検証するべきポイントだと思っています。そして、その個性がどんな表現に結びついたら影響力を発揮するかということを想像できるかどうか。それがリアルな形で想像できればもうほぼOKです。

─それは想像通りに行くものなんですか?

想像通りの表現になるかどうか、ということでいえば、ほとんどの場合はそうなります。目利きの能力とコーチングの能力の問題なのですが、まず、わりと正確にその人の潜在的な能力や指向を推測できる自信はあります。それに沿って、そのアーティストの面白い部分、武器になる部分を適切なコーチングによって伸ばして行けば、ちゃんと新しい尖った個性的な表現が完成するはずなんです。大切なのはコーチング。日本の音楽制作でも、コーチングという考え方がもっと発達するべきだと思っています。 日本では多くの場合、ヒットの法則とか、こんなかんじだったら売れるかもしれない、今売れてるのはこんなだから、とか、そんな程度の根拠であれこれひねり回されて、そのうちに自分が何をしたいのかわからなくなってしまうことがとても多いです。センスの悪い幼稚な制作者がレコード会社の社員としてアーティストと作品を管轄していることが多いから、よっぽど強い才能と幸運に恵まれないと、アーティストとして自分の表現を全うできる人はほとんどいない。けど、そうではなくて、制作者側がその表現の本質、個性を理解して、その個性が最大の影響力を獲得するようにコーチングするっていう考え方が標準になれば、もっと多くのアーティストが豊かな表現を実現できるし、クローンのようなアーティストが次から次へ産出されるっていう気持ち悪い事態から脱却できるはずなんです。

─なによりも個性ですね。これまでに出会った人で衝撃を受けた人はどんな人がいますか?

いろいろな人がいろいろな形のショックを僕に与えてくれていて、それはもう、ほんとに大勢いて数えきれないです。逆に言うと、特別に衝撃をもたらした人というのは、どうだろう、いるのかなあ。
そうだ、最近、遠藤ミチロウさん、すごいと思いましたね。もう、とにかく、表現の塊。パフォーマンスだけじゃなくて、すべての事象に対する姿勢が素晴らしく大きいんです。あとはどうかなぁ、すぐには思い浮かばないですね。

─タテタカコさんはどうでしたか?

あ、あの人は衝撃でした。すみません、いましたね、衝撃。
彼女は数少ない真性の表現者のひとりだと思います。普段はふにゃふにゃしたゆる〜い女の子なんですが、おい、おまえ大丈夫か?みたいな。けど、表現者としての意志の強さとか、才能は類稀な人だと思います。それに、自分の表現に対して常に「これで良いのか」という視点を持っていて、常に表現を鍛錬している。けして器用にあれもこれも作れますっていう人ではないけど、鍛錬して鍛錬して、研ぎすまして作り出してくる作品やその表現は素晴らしいですよね。その個性的な視点とか、妥協しない斬新さとか。しかも、単にアヴァンギャルドに突っ走っているわけではなくて、ちゃんと多くの人に受け入れられるポップなセンスもかなり適切なラインを押さえている。本当に希有なアーティストだと思います。ある意味、長野のアート感というのを象徴できる才能なのではないでしょうか。

─長野の文化についてどのように見ていらっしゃいますか?長野の良いところ、面白いところは?

アヴァンギャルドな表現をする人達が多く潜在しているエリアだと思います。僕も長野出身、飯田なんですけど、最近までここがこんなところだなんて思わなかったですね。タテタカコが飯田のライブハウスで発見されたのが2001年、情報として東京に届いたのが2002年。それまではまったく着目していなかったんですが、それ以降、長野県に注目し始めたら、面白い、個性的な表現をしている人達があちこちにいる。特にネオンホール周辺から受けた印象が大きかったんですが、当時の僕の中のイメージでは、京都と似たようなトーンを持つエリアでした。
京都はもう既に文化の発祥地としてシーンは成立していて、そのためのプラットフォームもしっかりと持っている所で、長野は、同じようなアヴァンギャルドな表現者が生活できている場所なんだけど、それがあちこちに散在している状態で、シーンとして形成させたり、外に伝播してゆくためのプラットフォームがない。それで、京都と長野を行ったり来たりしながら、地下水脈で結びつけるような関係を作りながら、長野に文化発信のためのプラットフォームを作ったら面白いことになるんじゃないかと思ったんです。
そもそも長野県という地域自体アヴァンギャルドで、日本全国の県の中で唯一平均標高が千メートルを越えていたり、北信、中信、東信、南信、それから木曽、5つのエリアに完全にアイソレートされてて、それぞれ独立した文化を持って、ぶつかったり、往来したり、アイディアの交換があったりする。これは他の県にはない性質で、突然変異的に新しい文化が生まれる要因になりうる、面白い要素だと思っています。プロモーションは展開しにくいけれど、良いですよね、そんな特徴があるって。

─N[エヌ]がスタートして、県内外からかなり注目を集めています。ここまでの感触はどうですか?

とても困難なことを始めてしまった、というのが正直なところなんですよね、すみません。もちろん、立ち上がりで注目を集めることができて、その分野の人達から良い評価を得られたというのはとても嬉しい状況なんですが、逆になおさら、大変だぁ、っていう出来事でもあるんですね。基本的なコンセプトがしっかりしていて、サイトの構成やデザインワークが優れていて、それで良い評価を得られたと思うんですが、実は、目指しているクオリティーをクリアするための体制が準備できてスタートしたかというと、決してそうではないわけですよね。いってみれば、なんとかアイディアでアドヴァンテージを得て、チームの献身的な努力によって、混乱しながらもなんとか進んで来ているっていう状態だと思います。問題は、高いエネルギーの要求されるこれからのプロセスをどんな方法で乗り切ってくか、っていうことですよね。とても大きな課題であり、是非とも乗り越えなきゃいけない課題です。

─ユーザーの反応などから、今後の展開についてのヒントは得られましたか?

まだ何をどうしてったら良いか解析できてはいないです。たとえば、mixiなんかも、コミュニティーが活発に動き出すまでだいぶ時間がかかったようですが、長野県全域、という範疇の中で、より有益な情報交換が行なわれるためにどのような仕組みが必要なのか、まだ今のところ、いろいろ試験的にアクションしながら、あれこれ考えているところです。早くいろいろな工夫をして、参加してくれたユーザーが楽しく居られる場所にして、面白い生の情報がどんどん集まるようにしたいですよね。
ただ少なくとも、スタート直後にこれだけ大勢の方が参加してくれたっていうのは、やっぱりここで、こういう機能や性質を持ったメディアが要望されていたということで、まず最初の一歩は間違っていなかったということですよね。なので、その方向性を信じて、キープして、期待感を失速させることがないように、これからいろいろな努力をしなければいけません。

─Webは、宮内さんにとってどんな存在ですか?どのように利用して、何を期待しますか?

必要な量の、膨大な量の、手に入れたい情報をあっというまに手に入れることのできる最終兵器ですね。実生活や仕事上のことでも、学術的なレベルのことでも、遊びのことでも、もうWebはすべてにおいて欠かせません。先週、真夜中の路上でふとノートブックを広げてみたら、どこの電波かわからないんだけどネットワークを検知してインターネットに接続できたんですね。ユビキタスコンピューティングの世界が本当に間近に来ているかんじがしました。
できれば、Webには人間にとって有益な、社会を幸せな方向に誘導できる知識や情報がたくさん蓄積されていて、それがユビキタス環境によって日常的にすべての人に供給される、すべての人が知的に充足できるような世の中になったらいいですね。

─ありがとうございました。

N

関連リンク

Profile

宮内俊宏 [Toshihiro Miyauchi]
ネーブルファクトリーワークス代表取締役
url :Navel Factory Works on line

1960年、長野県飯田市生まれ。1980年代より音楽制作業務に従事。
2003年10月、長野県初のプロフェッショナルなレコードレーベルを設立。
2006年10月にスタートした長野県の地域SNSサイト・N[エヌ]の代表を努める。