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Interview

定期的に更新するインタビューのページです。Webクリエイターだけでなく、
さまざまなジャンルの方々のインタビューを掲載していく予定です。


16 扇田孝之

2007.10.03 [ 地域研究家 ]

扇田孝之

東京から大町に移住して30年間。ご自身の体験を基に田舎暮らしについてまとめ『素朴だけでない 田舎暮らしの馴染み方』を出版した扇田孝之さん。現在も大町市簗場にて山荘を営みながら、長野・東京・海外と幅広く活動し続けています。人・情報・地域と多様なネットワークを培った扇田氏ならではの広い視野と観点から、長野について語っていただきました。

インタビュアー/id=Nagano 写真/瀧内 貫

─扇田さんについて教えてください。

東京生まれの東京育ちです。1978年に大町市の簗場というところに住まいを移して、それ以来ずっとここで暮らしています。高校二年生の時に「学生村」の制度を利用してたまたまこの地を訪れたのですが、この場所も宿泊していた民宿も気に入って、7年ほど、毎夏通いました。大学院に入ってから、じっくり腰を据えて地域社会の在り方をを研究してみたいと思って、1年間この地域で生活を始めました。そしたら近くに別荘地が開発されると聞いて、友達や知人をまわって一口20万のお金を700万程度集めました。来たら泊めてやると(笑)。親や銀行からお金を借りて今の山荘をつくって、それを糧にしました。その間、東京で短大の先生をやっていたのでここから通ったり勉強会や研究会に出たり、山荘の経営をしたり、という具合です。

短大講師は1年でやめて、それから2年ほど、今まで得た知識は一度全部捨ててしまおうと思って専門書の類は一切読まないことにしました。テレビも見ず一日中ラジオを聞いて、それで地名や地域など、何となく長野の地理などがわかってきました。夏と冬の観光客だけでは生活も充分ではないということもわかり、地元で生活していくための基礎体力と筋肉をつけなければと、山林労働、やプロパンガスの配達の日々 。

その頃、一つの転機がありました。僕は憲法学と法律哲学の勉強をしていたのですが、憲法学会に所属する若い講師や助教授が「扇田さんは信州の涼しいところにいるんだよね。夏合宿をやりたい」と言ってきました。日本中の大学から憲法学者が70~80人集まり、4日間ほど我が家近くのホテルで研究会を開きました。それを聞きつけた信濃毎日新聞の方が取材にきて、僕の経歴を知って、何か書いてくれませんかということになった。それが切っ掛けとなって、文化欄で足掛け5年ほど連載をするようになりました。

一方で、白馬村に当時『小さな村の壮大な選挙戦』ということで全国的に話題になったことがあるのですが、当選した横沢裕さんという村長が友人の教え子だったということで、個人的な付き合いができました。そんな頃、友人のスキー好きなフランス人女性の外交官が日本に赴任してきた。「信州にスキー場ある?」というので我が家に来たのですが、「こんな小さなスキー場じゃやる気しない」という(笑)。そこで、白馬の八方を紹介しました。
彼女は八方のスキー場を非常に気に入り、シーズン何回となく訪れました。二年の赴任を終えて帰る時に「せっかくだから面白い交流をやりませんか」という話になりました。アヌシー(オートサボア県都)という街で、冒険の記録を主題にした映画祭を始めるという。どちらもスキーと登山が盛んだし、交流してみたらということで、国際冒険映画祭を白馬とフランスで交互でやることになりました。僕が日本側のプロデュースを担当し、85年から96年まで行いました。

このような経緯で、地域社会とはいったいどのようなものか、国際交流はどういうもので、パートナーになるとはどういうことだとか、そういったことを実践しながら今日に至ったわけです。

─扇田さんの著作『素朴だけでない 田舎暮らしの馴染み方』に出てくる象徴的な言葉「時速4キロの文化と時速50キロの文化について教えてください。

一冊にまとめようと考える中で、どこにいても最先端の情報が瞬時に入ってきて、農業主体の国ではなくなってしまった今の社会において、旧態依然たる、「都会・田舎」という切り口では「地域」のあり様が上手く説明できない。いったい何だろうと考えていたころ、観光関係者が「これからは人間性を取り戻すんだ」とか「癒しの場だ」と言い出し、“歩くスピードで楽しめるまちづくり”というのが大事なのではないかという話が出てきました。それが要するに時速4キロの文化なのですが、歩くだけの楽しみの一方で車があり、最先端の文明の利器もたくさんある中で、ただ昔のようにすればいいのか…それがひとつのヒントになりました。

500万年前から今日まで延々と続いてきた時速4キロの文化というのは、人間が動物である限り変わらない、永遠に続くものです。 18世紀以降何が一番大きく変わったのかというと、機関車のような動物としての人間の能力を遙かに凌駕するスピードや、何トンもを持ち上げる文明の利器などができたことです。現代は、そうしたすばらしい機器類を僕達庶民が普通に稼いでいるお金で自由に使える時代になった。これが時速50キロの文化を蔓延させたのです。
ですから、これからは「時速4キロの文化」と「時速50キロの文化」との共創(きょうそう)の仕方を考えていくことが重要なのではないかと。時速4キロ、50キロという切り口は、現代の、これからしばらくの未来の社会も含めて、人間の活動を考えたり地域づくりを考えたりするには、一つの有効な切り口になると思いました。

─情報化社会やインターネットは、時速50キロの文化よりもより早いイメージがありますが?

ITだけを取り出してみると、一瞬に時空を乗り越えていますよね。距離も空間も問題にしていない。けれども、例えばインターネットを使って買い物をした場合、欲しいという情報は瞬時にお店に届くけれど、物は一瞬では届かない。自分の欲し商品が、実際に移動して手元に届くという状況と相まって初めて、インターネットで情報が瞬時に届くという役割が意味を持ちます。

ITというのは限られた部分で瞬時に何かするという意味においては非常に大きな力を持っていますが、さらにそれが飛躍発展しているのは、その背後に時速 50キロの文化が整備され(商品が運送会社のネットワークで素早く届くということ)、さらに時速4キロの文化が持つ情報の大きさが錯綜して、初めてITという社会が大きく広がっているんだと考えた方が良いのではないかと思います。

─最近“田舎暮らし”という表現をよく見かけますよね。都会から田舎に移り住むと、ギャップを感じると聞きます。時速50キロの人たちが時速4キロに溶けこむコツはありますか?

田舎は時速4キロだけの社会ではないし、都会は時速50キロだけの社会ではないんです。今の日本という社会は、田舎であろうと都会であろうと基本的には同じ。都会で経験した面白いこと、つらいこと、人間的なトラブルは、どんな田舎で生活しても必ずあります。そう思ってくれば、違いなんて何にもないですよ。

あとは人口が少ないから、少ないなりの物・キャパしかないという違いがあるだけです。それを昔ながらの「田舎は…」という言い方をしてしまう。そうすると田舎は特別な人種がいて、都会にいる私がそこに住むにはどうしたらいいかしら?みたいな話になってしまう(笑)。まあ、住んでいる人間の数や、そこで消費される金額の多寡とか、そういうものによってインフラはある程度低くなったりしていることはあります。それに対して自分がどう順応していくか、だけの話です。

─『田舎型の生きている場の中』で、上手く生活していくコツがあるのでしょうか?

人間はよく「仮面をつける」とか「本当の自分になる」というけれど、実はどの仮面も本当の自分ではないでしょうか。仮面の数をどのくらい持てるか。例えば、女だったり、恋人だったり、妻だったり、子供だったり、社会人だったり、遊び上手だったり…、一人の女性がいろんな顔を持っているんです。このうちのどれかが本当の私です、というのではない。全部自分なんです。その仮面をどこでつけてどういう風に振る舞うかということが、生きる、生活するということ。その仮面のつけ間違いをすると、「あいつは…」といわれるわけです(笑)。
なるべく、「日常生活の場」「仕事の場」「社会生活の場」、それぞれの場を離しておいたり、くっついてもべったりくっつかせないようにして、自分が今この仮面をかけているということがゆったりできる状況があれば、一番ストレスがありません。3つが大きく重なっていると、仮面の付け替えが難しくなるのは確かです。

北信流とか地域の会合における独特の挨拶があります。あれは「今俺はこういう仮面をかぶっているんだぞ」という発信、ふわっと仮面をかぶる儀式です。まわりの人も、仮面をかぶったその人の指示に従います。そうしないと、重なり合った地域で動けなってしまう。大都会はその3つが離れているから、いつの間にかそういうしきたりをしなくてもよくなってしまったのでしょうね。

─田舎にくると、密接にならざるを得ないという感じがあるのですが?

僕らのようによそから来て、50、60過ぎて、地域で仕事をしないで、もしくは仕事をする割合が少ない状態で来た場合、この3つのすべてに所属いなくてもいいわけです。自分が楽しい範囲の中にいればいいんですから(笑)。自分が一番大事にしている場所はそんなに広くない。そこで自分がどうやって人と接していけるか、田舎も都会も生活の仕方は同じです。

メディアが伝える“田舎”にも問題があります。“田舎”がメディアによって演出されているという部分も大いにありますよね。言葉の使い方によってもとらえ方は様々です。私は著書の中で「田舎型」や「都会型」という表現をしていますが、これは一般的にいわれている都会と田舎の地域差とは違います。

人間は、時速4キロで何百年も生活をつくってきました。都会の中にも、古くから続く下町とか多くの地域には田舎型の生きている場があります。田舎だから密接、都会だからドライというものではなく、全国的に田舎型の「生きている場」が基本であって、これのない文化はありえないと思います。

─Webサイトの制作はメディア側でもあります。メディア側が田舎らしさを演出することもありますが、田舎側が田舎らしい田舎を演じることもある。メディアは、どんな風な在り方がいいのでしょう?

時速50キロの文化の最大の特徴は、99%視覚情報であることです。その他の感覚は、時速4キロの文化ではほぼ平等。つまり、時速4キロの文化におけるメディアは、現場で見るか、人から話を聞いて想像する以外にありません。自分の知らないものは想像できないのが時速4キロの文化であり、そういう限界を意識していた時代です。

ところが、時速50キロの文化は、特に映像というメディアが出てきた時に、見たことのないものでも見たことあるがごとく映します。受け取る側は、視覚以外の情報はいっさい遮断されてしまう。だから、田舎らしくというのはまさにいったとおりで、“らしくみせる”ということに腐心して他の物は全部切り捨ててしまうんです。事実の一部分だけを演出して見せる。時速50キロの文化におけるメディアの訴え方は、どの部分を強調して見せるかになる。それを受け取る側は、想像した情報と流された情報の中で自分が一番受け入れやすい物だけを受け入れてしまいます。常に本当の(トータルな意味での)情報は絶対に伝わっていかないのが、この時代のメディアの不幸なところですね。

メディアにとって重要なことは、田舎といった時に何を連想する人が多いかを集中的にリサーチすること。その分析が正しいと、面白いようにひっかかっていきますよ。

─最近はメディアの切り取り方に疑いを持っている人も多いと思います。情報収集の可能性に、インターネットは有効なのではないでしょうか?扇田さんの情報収集はインターネットですか?情報を見極める術はあるのでしょうか?

最大公約数的な意見や、少数の意見を具体的に聞けるものとしてITは非常に役立ちます。昔、岸信介が国会で「声なき声を聞いている」と言いましたが、今の時代、まさに声なき声を聞くことができるのはITです。そこから何をくみ取るかは、閲覧する側の感性。情報を得たときに多勢の方にいくか、少数派の方にいくかはそれぞれの個性の問題になります。

僕も、情報収集にはインターネットをよく利用しています。情報を見極める術…大学院でいろいろな研究生活する上で、ひとつの論文を書くために膨大な書物を読んできました。これが一つの訓練になっていますね。そういう生活を何十年もしていると、無意識のうちにつかみ取れる。何十年にもおける訓練の結果としての直感ですね。

─リゾートと街が混在する長野。長野県の特異性は?

ミシュランが今年6月に初めてフランス語圏を対象にした日本の観光本を出しました。長野は一つ星として紹介されています。三つ星が富士山、東京、日光、高山、京都、奈良、姫路、宮島、それだけです。ミシュランに紹介されるだけでもすごいことなんですよ。

長野について、まず紹介されているのが、『楢山節考』、姨捨伝説で、カンヌ映画際でグランプリをとった映画の舞台になったところとして紹介されています。二つ星で善光寺。お階段めぐりを詳しく紹介ています。他には戸隠、地獄谷、野沢温泉、松本、上高地、新穂高温泉。このくらいしか書いていません。これは本人たちが実際に行ったり来たりしての調査結果です。彼らが外国人の目で選んだ日本の、日本らしい文化があるところ、もしくは、今の日本を象徴しているところを取り上げています。長野らしい文化というのは、善光寺のお階段めぐり。もうひとつは映画として話題となった姨捨伝説のある地域、県。これが、フランス人の、世界的にもセンスがいいといわれているガイドブックの編集者が取り上げた長野ということですね。

リゾート地でという話においては、「信州には人がいるけれど人脈が育たない」という言葉が象徴的だと思います。中央各界の偉い人たち。普通そういう人とは、地元の上流階級の人としか付き合うことはできません。ところがリゾートの場合、もっとも下々の人と、都会からきた偉い人たちが、ある種の非常に親しい付き合いになってきます。リゾートで生活するには女中さんや、小作のおじさん等が必要です。その人たちは、何十年もそこに雇われ、出入りするわけですから。付き合いで人間の良さはわかっているから、最下層級が都会の上流階級の人と付き合いが出てきます。自分でつくった人脈をいつ他人にとられるかわからないということになれば、閉鎖的な付き合いになってしまう。長野にはそういう人的関係というものが、他の地域と違うものとしてあると思います。

今リゾートというものはほとんど成立していません。リゾートというのは一回の滞在が長く、それが長期にわたって繰り返されるものです。それがかろうじてあるのは軽井沢程度。あとはリゾートという雰囲気を出して、リゾートしているつもりにさせるような場所しかありません。これは別に長野が悪いのではなく、今の日本全体がそういう構造の中にあるだけで、仕方のないことなんです。とすると、観光客がずかずかと自分たちの日常生活のエリアの中に一泊二日などの短期で入ってきて、自分たちのテリトリーがいいように引っかき回され、なおかつ「観光客の方にはスマイルをもっておもてなしの心で」といわれると、余計に腹が立ってくる(笑)。今の長野は、リゾートが非常に成り立ちにくい状況の中で、リゾートで在らねばならないという思い込みで頑張っている、つらい状況だと思います。

─長野県におけるリゾート、明るい未来はあるのでしょうか?

長野市くらいの大きな都市になると、独自の産業などいろいろなものがあって、その中の一分野としての観光というものが成り立ちうると思います。ところが、人口が10万以下の中小の自治体が、これから様々な形で生産力を上げ地域振興を図っていこうとすれば、観光産業はある意味基幹産業なんです。

例えば、大町市の観光消費額は146億円、延べ観光客数は287万人です。これは、年間186万円の消費をする住民が7863人も増加したことになります。あるいは、従業員数7863人、総生産高146億円の大企業ができたことと同じなのです。また、観光客はガソリンスタンドでガソリンを入れます。食事もします、タクシーも利用します。スーパーで買いものもします。見えない形で地域消費を挙げているのです。

ところで、なぜペンションが流行したのかというと、1970年代初め、別荘開発ブームが起こった後、石油ショックで誰も田舎の不便な土地を買わなくなってしまった。困った関係者が「ヨーロッパのようなペンションをして、15年で返済したあとはご自分の住まいとしてのんびり暮らすのも、ペンションを続けるのも自由です」と宣伝して、30代前半と50代の都会生活者を引き寄せたのです。

また、当時の東京では、畳の部屋に絨毯を敷いてソファーをおいてテレビを見る。あるいは、自分の部屋も洋風にしてベッドで寝たいというのが当時の若い人たちの憧れ。それを実現してくれたのがペンションです。だから都会の人間が競って来ました。ところが、ここ10年20年で自分たちの家の方が良くなってしまい、ペンションはチープ、プアーの象徴になってしまいました。

また、スキー場から発達したリゾートは、今はだめです。スキーというものが遊ぶ一つの手段でしかなくなってしまった今は、旅館での接待の仕方や地域全体がどんな雰囲気になっているかが、非常に重要になってきました。スキー場で30年40年やってきたところは、いい従業員を置いて、きちんとした接客をして、お客さまからそれなりの対価をいただく、という意識があまりありません。しかし、スキー場がなく、客集めに必死になってやってきたところは、それなりにブランド力ができてきています。

─最後に、著作のご紹介や今後の活動を教えていただけますか?

今初稿ができあがった本は、まだ題名は決めていないんですが、都会人へのメッセージということで、都会も田舎もないんだ、そんなことを気にするな、ということを、僕の過去の生きてきた過程から見えた都会と信州の田舎、それをいったりきたりさせながら書きました。また、『地域文化』で1990年代に3年間、いろいろな人と対談するコーナーをもらいました。飯田の人形劇を最初に仕掛けた人とか、バイオリンの鈴木真一さんとか、地名を研究している人とか。わずか3年の間に12人と会ったその対談ですらこれだけいろんな幅広い人がいて、多様な文化が息づいています。そういう本を今書いています。

地元とのつながりでいうと『北アルプス山麓ブランド』という県の活動があります。そのプロモーション部会の部会長になりました。いかに地元に根付かせるかというのがひとつ。それと同時に、都会の消費地にどういうかたちで売り込んでいくかというマネージメントをしています。

また、11月18日に安曇野市でシンポジウムをやりますが、その企画運営と、コーディネーターを行います。安曇野市ができて、今は10万都市。長野県で5番目に大きな街になりました。今まで町村でしたが、市としてどういうかたちの地域をつくっていくかがシンポジウムの主題です。

─ありがとうございました。

Profile

扇田孝之 [Takayuki Oogida]
地域研究家

地域研究家。明治大学大学院(法律哲学)修了。研究生活の後、78年に大町市簗場に移住、国内外の人・情報・地域の多彩なネットワークを培いながら実践・研究活動を行っている。特に、フランス・オートサボア県の四つ星ホテルを中心に多様なプロデュース活動を展開してきた。「ツーロン海洋冒険映画祭」(仏)国際審査委員、「日本文化デザイン会議」、「全国水の郷サミット」(穂高町)などの講師を務めた。

著書紹介

素朴だけでない 田舎暮らしの馴染み方
素朴だけでない 田舎暮らしの馴染み方

(現代書館)

Information

安曇野市の土地利用・景観を考えるシンポジウム
平成17年(2005年)10月1日の合併で、安曇野市は人口約10万人、県下で5番目の人口規模の自治体に生まれ変わりました。それまで、豊科町、穂高町、三郷村、堀金村、明科町の5町村は、恵まれた自然風土と、各々の地域特性を活かしながら、緩やかに発展してきました。その先人たちの弛みない営みが、<安曇野>という日本を代表する風土、景観、個性を創りあげてきました。しかし、これまでの<安曇野>は、5町村それぞれの<安曇野>でした。

ところで、今、私たちが日々生活している<安曇野>は、県下で3番に広大な平地ですが、そこに県内最多数の転入者が押し寄せ、膨大な住宅需要が生まれています。これに呼応し、増大する消費人口、労働力を追うようにして商業施設や産業施設の立地も進んでいます。そこで、「徐々に成長しつつ、変化していく時代」にふさわしい、安曇野市の発展を支える土地利用の「秩序」を官民一体となって創りあげていかなければなりません。

10万人が集う安曇野市にふさわしい新たな<安曇野>を創造する手がかりを見つけだそうとするのが、本シンポジウムの趣旨です。

日時:2007年11月18日(日)
13:00〜15:00
場所:安曇野市豊科公民館
主催:安曇野市
企画運営:(株)KRC
(有)コミュニケーション・デザイン研究所 演題:安曇野市の発展に向けた「個性ある地域づくり」のあり方を探る 〜地域景観と安曇野のブランド性に目を向けて〜
出席者:庵 豊(松本大学教授)
中村 麻美(画家)
山田 桂一郎(スイス・ツエルマット観光局)
涌井 雅之(造園家)
コーディネーター:扇田孝之(地域社会研究家)