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Interview

定期的に更新するインタビューのページです。Webクリエイターだけでなく、
さまざまなジャンルの方々のインタビューを掲載していく予定です。


21 小出陽子

2009.06.18 [ おやき屋 ]

小出陽子

信州の郷土食"おやき"を全国に広めようと始まった『信州おやきブランド化事業』の委員会で作業グループ会長を務める小出陽子氏。おやき調査隊というサイトを立ち上げ、自身のおやき店「ふきっ子のお八起」でもネットショップを運営している小出氏にお話を伺いました。

インタビュアー/坂田大輔 写真/ハラヒロシ 編集/志村純子

─まずは、ご自身の経緯について教えてください。

母がここ(青木島)で開業して20年間やってきたおやき屋を、3年前に引き継ぎました。4年前に東京から戻ってきたんです。

─今まではどのようなお仕事をされていたんですか?

私は何でもやってきた人です(笑)。
18歳で東京に出て短大に入りました。その頃は男女差別が強く、短大卒の地方出身の女の子は東京では就職できない時代。身元がしっかりしている女の子でないと名の通った企業には入れないんです。自宅から通勤しない女の子は"不良"とみなされてしまう。だからなかなか就職できなくて。でも東京を離れる気持ちにもなれなくて、伯父に身元を保証してもらって信用金庫に入社しました。融資部で4年半過ごし、金融全般に始まり、英文タイプや外国為替も勉強させていただきました。
そのあと入ったのは小さな出版社。学生時代から出版・広告等のクリエイティブな仕事がしたいと思っていたんです。2年間お世話になりました。
活字の世界も好きだったけどそれ以上に料理も好きでした。だからその後は、知人から声を掛けられてお茶の水の『レモン』という紅茶専門の喫茶店の雇われママを1年間やり、ケーキや紅茶の勉強をしました。
その間に結婚をしたこともあって、とりあえず家庭と両立できる仕事をと思って喫茶店の仕事を引き受けたのですが、単調過ぎて飽きてきちゃったんです。そんな頃、元旦那に「正社員として仕事をして定額の収入を得た方がいいんじゃないか」と言われて。彼は、お互いに稼いだお金はそれぞれが使うという主義だったんです。それがきっかけで、安定した収入を得るために海外建設コンサルタント会社に入りました。27歳のときです。
海外に特化した建設プロジェクトの会社で、外国為替の知識と英文タイプの腕があったので、主に海外のプロジェクト資金の回収とテレックスを使った現地との交信担当として採用になりました。
そこで18年間。その間には4年間のインドネシア駐在も経験しました。

─おやきがまったく登場しませんが(笑)、なぜおやき屋さんを継ぐことに?

45歳になったときが転機でした。母がおやき屋をやめたいといったことがきっかけで、東京を離れる決心をしたんです。

─18年間のキャリアは、かなり充実されていたように思うのですが。

充実はしていました。事務部門のトップレベルである業務室長だったので部下が12名いました。ほとんどのプロジェクトの資金繰りやスタッフの世話、部門や事業部の損益計算まで見るようなポジションです。仕事はとても面白かったですよ。

─継ぐときには、相当迷われたんですよね?

まったく迷わなかったです(笑)。
自分の腕と頭でお金を稼ぎ出すという仕事に憧れていたんです。18歳のときから「赤ちょうちんの店を持ちたい」という思いがあって、その夢が私の中で途切れることなくずーっと育っていました。自分でおいしい料理を作ってお客さまが喜んでくださることでお金が稼げるのなら、その方がずっと充実しているだろうとどこかで考えていて。
同時に、18年間勤めていても私は会社の歯車のひとつでしかないという思いがいつもあったんです。事務職は技術コンサルタントのサポート役でしかなく、自分で汗水流して働いていても縁の下の力持ちで終わってしまう。しがない宮仕えの身でしかないのかな、という思いが。
その会社は私の入社以前からすでに週休二日・フレックスタイム制、社長も部長も役職ではなく「さん」付けで呼ぶという先進的でフレンドリーな会社だったし、お給料がすごく良かったんですけどね。私が一番いただいていたときで年収1,000万円以上でした。

─1,000万円以上!! その年収を捨てるって、すごい決断だと思いますが...。

プロジェクトで扱うお金も1億、2億と大きいですから、お金の価値が麻痺してしまうんですよ。こういう世界、お金の真の価値を見失うような世界に身を置いていたら私は将来どうなってしまうんだろうという怖さがありました。だから辞めると決めたときには少なからず安堵感もありました。
今はおやき1個売って利益が10円以下の世界で生きている。これが本当の世界だなと、実感しています。現実の世界に帰ってきたなという感覚ですね。
18年間の間に、離婚したり、つらい思いをしたり、海外生活を体験したり。いろいろ起伏があるはずなのに、18年間という期間がすごく短く感じるんです。長野に帰ってからのこの4年間の方が18年間よりも倍以上に長く感じます。

─今は歯車という感覚はないですよね?

まったくないですね。自分が作りたいおやきを作る、自分の思い通りの味付けをする。もちろん失敗もあるし、いろいろな苦労もありますが、それは全部お客さまに喜んで食べていただくための苦労だから全然いとわないんです。

─修行はどのくらい、どのように行ったのでしょうか?

母のもとで、1年間修行しました。4人姉妹ですが、母のおやきを作ることができる娘は誰もいなかったんですよ。私が初めて母から教わりました。
川中島地方のおやきは生地が全然違うんです。水分量がとても多いので、手ですくうと指の間から生地が流れ落ちてしまう。素早く包んで素早く焼いてせいろに入れるという、ひとりで作るのは大変なおやきなんです。
母は「普通は3年かかるところをあんたは1年でやった」って、最終的には褒めてくれました。最初は喧嘩ばっかりでしたけど(笑)。20年間ひとりで切り盛りしてきた店です。自分が守ってきた城を誰かに引き渡すときの寂しさって、誰でも感じますよね。

─お母さんのおやきをそのまま引き継いでいるのですか?

母は焙烙というフライパンのようなもので焼いていました。生地がくっついてしまうので、どうしても油をひかなければならない。油を最低限の量にしても油の皮膜は残ってしまって、個袋に入れたときに中が油でべっとりしてしまうんです。お客さまが見た瞬間に「油をすごく使ってるのね」と言われてしまって。修行しながら「どうしたら油を使わずにこのおやきの製法を踏襲できるだろう」と考えていました。
そして、母から完全に店を受け継いだ瞬間に、鉄板に変えてしまったんです。遠赤外線効果のある厚みのある鉄板を特注でお願いして。これだと油をほとんど使わないんです。
最初は文句を言われましたよ、「私のおやきじゃない!」って。なので、最初の2年間は、両方のおやきを作っていました。
今もおひとりだけ、母のおやきが食べたいというお客さまがいらっしゃいます。その方には焙烙で焼いたおやきを差し上げています。

─おやきの種類が豊富ですよね? お母さんのときはオーソドックスなおやきだったんですか?

私が季節ごとのおやきを作り始めたのは、母の影響です。スケジュールをきちんと立ててお客さまにお知らせするようにしたのは私ですが、母も変わりおやきをたくさん作っていたんです。
幻のおやきといわれるものがすごく多くて、私では絶対に考え付かないようなおやきをいっぱい作っていました。バナナのおやきとか、納豆のおやきとか、鮭の氷頭のおやきとか。それが大当たりなときもあれば、「おいしいから食べて」といっても躊躇しちゃうようなときもあって。母の時代からちょっと面白いおやき屋だったんです。

─おやきの商品開発には時間がかかるんですか?

かかるときと一発OKのときがありますね。決まらないときは何回やっても決まらない。私のオリジナルおやき第一号が『和のトマト』で、今も一番人気です。
今は毎月新作を考えなくてはいけないので、旬の野菜をどういう味付けにしたらお子さままで食べやすく、一番野菜の味を感じてもらえるか、というところから入ります。ネーミングから入ると、だいたい失敗しますね(笑)。

─これはどうだろう...っていう、究極の失敗作もありますか?(笑)

ある情報誌の『斬新なおやきを作ってみよう』という企画で、いろいろな食材を持ち込んでいただいておやきを作ったんですが、一番食べられなかったのはプリン! 歯ごたえないし「何これ~!」っていう仕上がりでした(笑)。

─インドネシアでの経験もおやき作りに生きていますか?

間接的に生きていますね。あまり知られていない調味料や香辛料を知っているので、それを隠し味に使うことはあります。いろんな味を知っているという意味では多少おやき作りに生きているのかな?と思う程度です。
数ヶ月前にテンペのおやきを季節のおやきとしてつくったんですが、テンペはインドネシアで昔から食べられていた郷土食です。テンペが懐かしくて、栄養的にも良いものだからおやきに取り入れてみました。

─では、本番...信州おやきのブランド化事業について教えてください。

おやき事業者さんたちが横の連携をとって、おやきをもっと盛り上げて知名度をアップさせましょう!という企画を長野商工会議所と共に練り上げ、経済産業省の補助金事業として採択されたんです。
昨年度の調査研究事業は今年の3月末で終わりました。4月から本格的な地域資源∞(無限大)事業が採択され始まっていまして、すでに善光寺大門駐車場や、ながの東急さん、イトーヨーカドーさんでイベントを行っています。

─目的は『信州のおやきを全国に認知させる』ということですよね。反応はいかがですか?

まだ県外に大々的に発信していくというところまでは至っていないので、県外に対する手応えはまったくないです。本格的な"信州おやきブランド化事業"は始まったばかりなので。
ただ、調査研究事業においていえば、組合もなく、お互いにどんな顔をしてどんなおやきを作っているのかがわからない状態だったおやき屋さんたちが、集まって、認知し合って、信頼関係を築き上げられたということが一番の成果だと思っています。コアメンバーは強い絆で結ばれて「みんなで頑張ろう!」という状態になっていて、すごくうれしいです。

─おやき事業者って、どれくらいあるんですか?

長野市だけで70軒近くあります。おやき調査隊でデータ協力をしてくださっているおやき店さんは50軒弱くらい。その中で、事業に本格的にメンバーとして参加してくださっているおやき事業者さんは22軒くらいですね。

─認知度って計りにくいですが、何か具体的なイメージはありますか?

まずはおやき事業者さんたちの意識の差を縮めることがこれからの課題ですが、小さなイベントや運動を積み重ねていけば、長野市だけでなく北信地域に広がり、ゆくゆくは長野県全域になって。いずれは長野県のおやきサミット開催というレベルまでたどり着けたら面白いなと思っています。
信州おやきサミットが確立できたら、今度は県外の"おやき"といわれるものだとか、おやきと形状が似ている粉ものをみんな集めて、おやきサミットの全国バージョンができる。その域まで到達できれば、信州おやきがもっと骨太に成長していくんじゃないかなと考えています。
あとは事業者間の相互扶助ですね。勉強会も開催していきたいと考えています。時々、食材が手に入らないという事態が発生することがあるんですが、そういった情報も共有し合って、手に入った食材も分け合いたい。食材の仕入れもみんなでやればそれだけコストダウンに繋がりますし。そのためにウェブを使いたいという思いがあります。業者さん専用サイトを作って情報共有をしていきたい。行く行くはおやき事業者の協同組合を立ち上げたいと考えています。この専用サイト運営が組合の基礎になっていけばいいなぁと思っています。

─これでおやきの認知度がどんどんあがったら、東京出店とか考えますか?

おやき事業者さんというのは、小さいところから大きなところまで、千差万別ですよね。そのレベルですみ分けしていけば良いと思うんです。
私はこの店の規模を大きくしたいとか、支店を出したいとか、県外に進出したいとはまったく思っていないんです。お店の規模は、自分の味が守れるレベルであるべきだと思っているので。自分のお店を大きくしたいからやっているわけではなくて、おやきというものを県外の人に食べてもらいたいという、それだけなんです。そのためにおいしいおやき、安全なおやきをみんなで作っていきましょうというコンセプトに基づいてこの事業に関わり合っているので、みんなで頑張っておやきを広められればいいと思っています。だから県外への進出も、みんなで力を合わせてアンテナショップが出せるなら、それが一番いいなと考えてます。そこでいろんなおやきが食べられる、それが楽しみでお客さまに来ていただけるようなお店だったら絶対に出したいですね。
ただ、おやきはその日につくったものじゃないとおいしくないんです。でも、その日につくったものをその日に持って行って県外で販売するのはほとんど不可能です。その障害を超えるにはどうしても冷凍になるんですが、冷凍障害のおこりやすいおやきが多いことが問題で、冷解凍技術をもっと向上させないと県外には進出できません。これも今回の事業の課題の一つとして、クリアしていきたいですね。

─おやきの目指す姿...どの郷土食のようになりたいと思いますか?

それはやっぱり讃岐うどんでしょう! 四国新聞が讃岐うどんサイトの口コミサイトを作っていて、口コミ情報がきれいに入り込んでいるんです。それを目指しておやき調査隊をつくったんですけど、まだまだ赤ちゃんレベルです。
テイクアウトできたり、手軽に食べたりすることができる郷土食ってあまりないんですよね。きりたんぽ鍋とか、ほうとうとか、ちゃんちゃん焼きとか。郷土食っていわれるものって"お料理"の部類に入ってきちゃうんです。たこ焼きみたいな感覚で食べていただける郷土食としてブレイクできたらいいかな。

─おやきを買いに来るお客さまは女性が多いですか?

ふきっ子のお八起に来られるお客さまでいえば、今は結構男性が増えましたね。今は女性7割、男性3割くらい。母の時代は1~2割程度で、おじいちゃんが買いに来る場合が多かったんですが、今はご夫婦で見える方がすごく多くなって。会社員の方がお昼に買いに来られることも増えました。

─年代は少し高めなイメージがありますが。

逆ですね、ふきっ子のお八起の場合は。昔うちのお客さまだったおじいちゃんおばあちゃんがお家から出られなくなってしまったりしているので、子供たちがおやきを買って持って行ってあげたり、自分たちでも食べてみようか、と。年代が移行しつつあります。現在では30~40代が圧倒的ですね。

─おやきの良いところは?

栄養バランスが抜群です。片手で食べられるから手軽ですし。焼き蒸し、蒸し焼き、揚げ等、作り方もいろいろあるので食べ歩きも楽しいです。
意外に思うかも知れませんが、海外の方が好きですよ。日本はお米文化だけど、海外は粉もの文化なんですよね。だからとっつきが良いみたいです。

─県内の人に、また、県外の人にとって、おやきがどうなれば良いと思いますか?

長野県人にとってはソウルフードであってほしいと思います。自慢してほしい。県外人には...朝食や夜食におススメです!と言いたい。手軽に食べることができるし、低カロリーで栄養はばっちり。そういうPRができますね。

─今後県外で認知させていくための戦略は?

とにかくいろいろなところで露出させていかないとダメですね。ずるいようですけど、メディアに乗るのが一番かなと思います。
最近、「良くテレビに出てるわね」、「最近おやきブームじゃない?」といわれるようになってきました。そういう意識を地元の方々も持ち始めているというのは、きっかけ作りとして成功していると思うんです。 同じように、この事業の中で県外の人にもメディアを通じてどんどんPRしていく、その機会を作って、認知してもらうしかないと思っています。

─ご自身の店舗はネットショップもあるようですが、反応はいかがですか?

お店をPRしていくには第一に良い商品を作りあげることが大切ですが、その商品をPRするツールということでホームページを立ち上げ、ブログも毎朝書いています。そういうことを地道にコツコツと積み重ねている間にメディアの方が取り上げてくださって。頑張ってきた甲斐はあったなと思います。
ネットショップを立ち上げた頃は1ヶ月に5~6件注文があれば良い方だったんですが、今は1日3~4件入ります。3月に中部地方のお取り寄せグルメ番組で紹介されたときは、1日120件! 県外のお客さまが見るツールといったらホームページしかない。サイトを使ってどんどん発信していくことに今はとても手ごたえを感じています。

─おやきは長野の食べ物ですけど、県外ニーズもあると。

3月の番組がきっかけで1回目の注文をくださった方々が、リピートでどんどん戻っています。中部地方からの2回目の注文が今すごいことになっていて、在庫ゼロの状態なんです。 県外の、初めておやきを食べる方に向けて、送料込・全国一律2,100円で12個入りのお試しセットを赤字覚悟で販売しています。それ1回で終わってしまうんだったらこんな赤字のセットは絶対に販売しません。お客さまが戻ってきてくださるという自信があるんです。

─ブログ等で情報発信していく上で気をつけていることはありますか?

誹謗中傷になるようなことは絶対に書かないということです。自分のことはどんなにバカみたいなことを書いても、お店のことやお客さまのことはある程度気を使っていますね。でもそのくらいかな。
お客さまから注意を受けたことやコメントいただいたことを素直にブログにのせると、それに対する反響も結構あるんですよ。「きちんと正直に打ち明けてるのって素晴らしいと思います」とおっしゃっていただいたりして。

─もともとパソコンは利用していたんですか? 今はどのくらい利用していますか?

会社員時代は、パソコンがないと仕事ができないような状態でしたので、パソコンには日常的に触れていました。かえって見ないと不安です(笑)。 今は朝3:30くらいから1時間程度、仕事とブログと個人的なメールをしています。夜は帰ってから仕事で30分程度ですね。

─では最後に、今後の目標を教えてください。

いろんなおやき屋さんを束ねたサイトを作りたいんです。そこではいろんなおやき屋さんのおやきが同梱で全部買えちゃう。それができたらおやきは数段レベルアップできるし、認知度も広がるんじゃないかなと。先日、おやき事業者さんたちの会議で言ったら現実的な理由で却下されちゃいましたけど、でも絶対にやりたい!
そういうことのためにも組合があったらいいなと思いますね。みなさんから少しずつ出していただいたお金にプラスして、ショッピングサイトの売り上げの何%かを組合の方に還流していただけば、それで運営できると思うんです。組合も潤うし、事業者さんの手間も省ける。実現はいつになるかわかりませんけど(笑)。

─ありがとうございました。

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ふきっ子のお八起

Profile

小出陽子[Yoko Koide]
おやき屋
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1959年長野市生まれ。長野市在住。高校卒業後28年を経て、母のおやき屋を継ぐため長野に舞い戻る。2006年「ふきっ子のお八起」として開業。2008年「合同会社ふきっ子のお八起」設立。自身がおやき好きでなかった経験から「おやきは野菜を小麦粉で包んだもの」をコンセプトに新しい味のおやきを追求しつつ、守るべき郷土の味も育てている。傍らライフワークとして2005年より自宅にて郷土料理を主とした「小さな和み料理教室」主宰。2008年からは「信州おやきブランド化事業」研究会リーダーとして、信州おやきの知名度向上のため転げ回る日々。長野市食育審議会委員。