<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
    <title>id=Nagano「長野のWebを楽しく」 | インタビュー</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://idnagano.net/interview/" />
    <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://idnagano.net/interview/atom.xml" />
   <id>tag:idnagano.net,2007:/interview//2</id>
    <link rel="service.post" type="application/atom+xml" href="http://idnagano.net/cgi-bin/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=2" title="id=Nagano「長野のWebを楽しく」 | インタビュー" />
    <updated>2007-12-27T11:39:35Z</updated>
    
    <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type  3.34</generator>
 
<entry>
    <title>18 大本あかね</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://idnagano.net/interview/2007/12/18.php" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://idnagano.net/cgi-bin/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=2/entry_id=340" title="18 大本あかね" />
    <id>tag:idnagano.net,2007:/interview//2.340</id>
    
    <published>2007-12-27T11:36:06Z</published>
    <updated>2007-12-27T11:39:35Z</updated>
    
    <summary></summary>
    <author>
        <name>id=Nagano事務局</name>
        
    </author>
            <category term="Web Director" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://idnagano.net/interview/">
        <![CDATA[<h5><img src="/interview/img/i_18omoto1.jpg" class="interviewph" alt="大本あかね" /></h5>
<div class="profile">
            <p xml:lang="en" lang="en">ウェブ制作者・ウェブ担当者・ウェブサイト運営者のための短期集中型ウェブ専門の学習塾、<a href="http://all-web.org/" target="_blank">allWebクリエイター塾</a>を主催する大本あかねさん。長野でも、NPO法人長野IT化推進センターで全5シリーズにわたり<a href="http://www.nitpc.org/webcreator/index.html" target="_blank">Webクリエイター養成講習</a>を開催し（最終回のWebマーケティング講座は2008年1月19日に開催）、地方でも積極的な開催を展開しています。Webクリエイターを養成するという視点で業界に寄与されている大本さんに、これまでの経緯や今後の展望についてお話を伺いました。</p>
<p xml:lang="en" lang="en">インタビュアー／id=Nagano</p></div>


<p xml:lang="en" lang="en"><em>─大本さんのこれまでの経歴を教えてください。</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">地方のパッケージデザイン会社に勤めていましたが、1995年頃にウェブに興味を持ち独学で勉強しはじめました。その頃に知り合ったウェブデザイナーに「デザインのいろは」を勉強させてもらいました。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─なぜallWebクリエイター塾をはじめようと思ったのですか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">2003年の暮れに女性だけをターゲットにXOOPSを教える勉強会を開催しようと思ったのがきっかけです。その頃はCMSが注目され、XOOPSも同様に注目されていました。オープンソースで書籍も出ていたりするのですが、サーバーの環境などによってはスムーズにできないこともあり、慣れるまではちょっと敷居が高いものでした。
<br />
当初友人のウェブデザイナーと一緒にはじめたのですが、女性2名での講師ということもあり、またプログラム系は男性が強いイメージがあったので教えるのは女性限定にし、寺子屋的な感覚を入れて“塾”という名称を付けました。その頃のYahoo!の表示順序も意識して、はじめに「a」をつけ「all女性XOOPS塾」を誕生させました。
<br />
今の「allWebクリエイター塾」に変更したのは、Web標準でのサイト制作に焦点を定めたのと、男性の参加希望も多かったので面影を残しつつ改名しました。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─どのような講座をやっていますか？講師はどのような方ですか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">単発講座になっていまして、1日でマスターできるように構成しています。私自身に短期間で効率よく勉強したいという気持ちがあったので、このような構成にいたしました。
<br />
講座の内容はウェブ制作者が必要なスキルに限定しているのですが、今ではバラエティに富んでいます。基本は「XHTML+CSS」「SEO対策」「Webディレクション」「アクセス解析」などを行っています。
<br />
今後は、ウェブ制作者という大きな括りでなく、ある程度限定したユーザーごとに必要なスキルが学ぶことができるように、より深い内容を行っていく予定です。
<br />
講師は現場で実際にプロとして活動されている方に依頼しています。またその中でも現場のノウハウを出していただける方で、なおかつ教える力を兼ね備えた方に依頼しています。

</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─Web講習のスタンスはどうでしょう？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">
基本的に、「現場で役立つ内容」や「持ち帰って使える内容」を組み込んでいます。ウェブの勉強ってウェブ上の情報だけでは解りにくい事や、リアルで教えてもらうと簡単な事ってたくさんあります。講師の方々が何日もかけて勉強した内容や現場でのノウハウを講座の内容に集約して教えていただいています。
<br />
気をつけている点として、単発の講座なので、どんな立場の方が入ってもわかるように体系的に構成している事と理解するために必要な知識や現場で役立たせるためのスキルが身に着くようにしています。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─Webといっても範囲がかなり広いですよね。テーマを選ぶ基準はあるのですか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">
基準は自分でしょうか？受講生の方にも「自分が勉強したい事を講師に依頼して教えてもらえれば良いからいいね！」的な事を言われたことがあります。まさにこれで、自分が勉強したいと思っている事なんでしょうね。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ひとつのテーマを定めて講習を開くまでに、結構時間がかかるのでは…</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">オファーしてからの返事などもあるので講座によってさまざまですね。でも、実は私から積極的に講師依頼をした事ってあまりないんですよ。意外と講師をやりたい方ってご自分からでもPRしてくるので（笑）。
<br />
ちなみに、平均開催まで3ヶ月～半年くらいはかかってしまいますね。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─受講者の反応はいかがですか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">大多数はご満足されて帰宅されます。その証もあってリピート受講される方が講座によっては過半数を上回ります。実際そのための努力もしていますが…。
<br />
でもその半分の方が持ち帰って本当に使ってもらっているのか？意識が下がってないか？などちょっと心配になる反面もありますが、アンケートでの感想が良いので良いのかな？と思っています。そのために「SwapSkills」という勉強会を1ヶ月に一度のペースで行っています。長野でも同様のことが言えると思うので、id=Naganoさんと長野IT化推進センターさんと一緒に勉強会などの企画ができればと考案しています。
<br />
あと、良く言われるのが「アットホーム」だねって。ネットだけでは解らない伝わらないのがこのあたりなのかも知れません。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─allwebの講座は、いま長野でもシリーズで開催されていますね。地方開催について、具体的にはどんな場所で、どのような思いから開催しているのですか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">2003年当初でも「地方での開催はないのか？」などの話を受けていたのですが、実は会社勤めをしていたので、なかなか開催に焦げ付けなかったのが現状でした。<br />
独立した頃に長野の団体（長野IT化推進センター）様から依頼をいただき、2007年度はシリーズ化して講座を行っています。id=Naganoで編集などをご経験されている方が東京の講座に受講されたこともあり、長野での講座をid=Naganoのサイトで告知をしていただいたり、さらには長野の講座にも受講していただいたりと大変お世話になっています。<br />
2008年からは北海道、関西での開催を予定していて、地方の方とも交流を深めてウェブ標準やウェブの活用方法などの浸透を目指しています。どこに行ってもはじめのスタンスと同じように、勉強したいと思っている方のお役立てができればと思っています。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─東京と長野の受講生の違いはありますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">長野の講座を主催されている長野IT化推進センターさんでも良く聞かれる事なのですが、東京と地方での温度差は思っているより差がないように思います。<br />
確かに、東京ではパイが違うので優秀な方はたくさんいますが、全体的に差があるかといえばそうでもないように思います。事実、今回の長野の講座に参加された方は意識が高く、がんばっている方ばかりでした。逆に東京の方がいつでも受講できるなどの気持ちの余裕がスキルアップをさせていないように見受けられます。地方では東京ほどセミナーが多くないため、情報に乏しいとは思いますが、その分意識が高いのかな？と感じました。<br />
ちなみに長野の感想ですが、思っていたより魚介類もおいしく、受講生からいただいたりんごのおいしさや新幹線のホームの立ち食いなのにも関わらず、普通においしい蕎麦。なんと言っても東京では味わえない空気の綺麗さは格別です。長野は何度か足を運んでいるうちに、歳を取ったら住んでみたいと思えた良い街です。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ありがとうございます（笑）。さて、今後やっていきたいことや、開催予定のテーマはありますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">今後は地方への展開を考えています。allWebの信頼と多くの人にallWebを知っていただくという事ですね。
<br />
テーマとしては、『今ある財産（知人）から新たなる信頼を築く。』です！<br />
かなり硬いですが…講師を中心に現在allWebを支持していたいだいている方に本当に感謝しています。支持していただいている方の期待に応え、allWebと多くの皆様の新しい出会いを広げていきたいと思っています。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─どんどん広がっていくといいですね。少し視点を変えて、大本さんの視点で、Webクリエイターに大切な要素は何だと思いますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">講師の方にも話を良く話しをするのですが、求めていることを汲み取る姿勢が大切だと思います。<br />
クライアントの応対はディレクターの仕事と思っている人は危険ですね。同じプロジェクトを組む上で完成作品の共通意識がなければ良いものなど生まれないからです。ですので、例えFlashクリエイターでもクライアントの要望を表現できるように汲み取る姿勢を持つべきです。<br />
どの仕事でもそうですが、業界では一般的な事を横並びで伝えても理解してくれません。クライアントの駄目だしなどをする事よりもクライアントが理解できるように話をする・教育する必要があるのだと思います。<br />
フリーの方は特にそうですが、提案・制作するにはそれなりの時間がかかるのでビジネスライクにする所はきちんとして、かつ落ち度のないようにすることも必要ですね！<br />
あと、大切な要素としては「強みを持つ」事です。ウェブクリエイター、デザイナーといっても行う業務は幅広くなっています。塾の講座もカリキュラムがこんなに多いのは必要なスキルが多くあるからです。一通りの知識を習得することも必要ですが、その中で自分だけができる事、得意な事を作っておくことが必要だと思います。可能であれば、信頼の置けるスキルを持った仲間がいれば尚ベターですね！

</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─今まであった人の中でこの人すごい！という人はいますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">たくさんいて書けないですね(笑）。最近は若者のがんばりに感銘を受けていますが、やっぱり初めて会ったウェブデザイナーさんが衝撃的ですね。初恋が忘れられないというのと同じかもしれません。（ちなみに、そのウェブデザイナーさんは女性です。）
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─Web業界全体を見渡して、何か感じていることなどありますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">インターネットが一般化され便利になっていく一方で、文字だけでは感情が伝わりにくく、間違った認識をしてしまうことって良くあります。社会的にはイジメや中傷、さらには炎上なども切っても切れないのがネットです。
<br />
ネットだからこそ見えてくる事実もあると思いますが、相手が見えない状態なのにも関わらず経験を積んだ方と積んでない方の言葉の重みが一緒くたになっている感じがあります。私たちウェブ制作に関わっている人はこれらの事まで想定して制作をする必要があるのだと感じます。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─Web業界で注目している動きは？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">携帯ですね！i-phoneみたいなインターフェースの携帯も誕生するとか？今までワンソースマルチユースと言っていた事がより実現化されるのかな？とちょっとだけ期待しています。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─Webはこれからどうなっていくと思いますか？　どうなったらいいなと思いますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">どうなんでしょうか？
<br />
セカンドライフがリアルと結びつくとかなり変化があるのかもですね。いずれはバーチャルとリアルの融合が実現する時代は来るのだと思いますが、私自身は特別そうなってほしいとも思っていません。
<br />
ウェブが進化してもそこで何を提供するのかは人間が考えることなのだと思います。ウェブの技術的な進化を求める事よりも現実にウェブをどのように利用するのかをひとつひとつクリアする事が大切なのだと思います。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─プライベートではどんな風にWebを利用していますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">みんなと同じだと思いますよ。調べ物をしたりSNSしたり、音楽をダウンロードしたり。英語が話せれば海外の人とSkypeしたいですね！時間とお金の余裕ができれば旅行伝記的なサイトも作りたいですね！
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ありがとうございました。</em></p>
]]>
        <![CDATA[<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">Profile</em></h2>
<p xml:lang="en" lang="en">大本あかね [Akane Omoto]<br />
Web Director<br />
url : <a href="http://all-web.org/" target="_blank">allWebクリエイター塾</a></p>

<p xml:lang="en" lang="en">
愛知県出身<br />
大学卒業後、地元のデザイン会社でデザインを勉強<br />
その後、ウェブに興味を持ち専門学校でJSPを学ぶ<br />
大手ウェブ関連企業でウェブデザイナー兼ディレクター<br />
現在に至る
</p>

<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">Favorite site</em></h2>
<p>基礎講座でもご紹介しているのですが、<a href="http://www.happycog.com/" target="_blank">HappyCog</a>(Jeffrey Zeldmanのサイト)は全てのウェブデザイナーに 参考にしてほしいです。</p>

<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">Information</em></h2>
<p xml:lang="en" lang="en"> <a href="http://www.nitpc.org/webcreator/google_ana.html" target="_blank"><strong>Webクリエイター養成講習　Webマーケティング講習</strong></a><br />

2008年1月19日　長野IT化推進センターで「アクセス解析」の講座を行います。私がお付き合いしたウェブコンサルタントの会社の中でとても真摯にお仕事をされている会社さんで、取締役をされている竹内さんに講師をご担当いただきます。基礎からウェブ制作が知っておくべきアクセス解析の方法、視点を身に着けられる内容になっています。</p>
]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>17 村松弘敏</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://idnagano.net/interview/2007/11/17.php" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://idnagano.net/cgi-bin/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=2/entry_id=336" title="17 村松弘敏" />
    <id>tag:idnagano.net,2007:/interview//2.336</id>
    
    <published>2007-11-25T23:40:15Z</published>
    <updated>2007-12-04T08:40:56Z</updated>
    
    <summary></summary>
    <author>
        <name>id=Nagano事務局</name>
        
    </author>
            <category term="Photographer" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://idnagano.net/interview/">
        <![CDATA[<h5><img src="/interview/img/i_17muramatsu1.jpg" class="interviewph" alt="村松弘敏" /></h5>
<div class="profile"><p xml:lang="en" lang="en">長野市でフリーカメラマンとして活動されている村松弘敏氏。いち早くデジタルカメラを導入し、電塾でも運営委員をされるなど新しい技術を積極的に取り入れる努力を惜しみなく続けられています。一般向けの高性能なカメラが安価に手に入る時代に、プロカメラマンとしてどう向き合っているか、また、現在の活動などについてお話を伺いました。</p>
<p xml:lang="en" lang="en">インタビュアー／id=Nagano　写真／瀧内 貫</p></div>


<p xml:lang="en" lang="en"><em>─カメラに触れたきっかけ、また、カメラにはまったきっかけを教えてください。</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">たまたま家にあったんです、父親が持っていたニコンFが。それがきっかけですね。一番最初に写真を撮ったのは幼稚園くらいだと思います。
<br />
実際に写真を撮り始めたのは中学校以降です。その時は「表現したい」という気持ちは全くなくて、単純に「カメラがあったから」です。持っていたカメラは私が生まれた頃に買ったものだったので古くさくて嫌だったんですが、たまたま顧問の先生から「すごくいいカメラなんだよ」と教えてもらって。それからですね。
<br />
思ったように写らないという思いから、雑誌を読んだりと研究をするようになりました。中学時代は視聴覚クラブでしたね。高校は写真部が休部だったので復活させて、所属していました。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─カメラマンという職業を意識し始めたのは？　この仕事にはどのようにして就いたのでしょう？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">高校に入ってからですね。その頃、時代的に写真ブームでした。フライデーなどの写真週刊誌が創刊された頃ですし、アルファ7000等が発売となり、カメラ業界が盛り上がっていました。
<br />
進学するにあたって、写真を撮ることを仕事にしたかったんですが親を説得することができず、東京工芸大学工学部写真工学科といって、レンズやフィルムを勉強する学科に入学しました。でも実際に写真を撮る授業は一年に一度程度しかなくて、実験や難しい話ばかり……。卒業しましたが、やっぱり撮る方をやりたくて、アルバイトしながら夜間の二年制専門学校に通いました。
<br />
二年になった時に、青山スタジオというレンタル撮影スタジオでアルバイトをするようになりました。そのまま就職して、24〜25才頃、そこで出会った杉山芳明というカメラマンに声をかけられ、アシスタントにつきました。そこで三年半ほど過ごしてから、長野にきました。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─なぜ長野に戻ってきたんですか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">東京ではアシスタントとしてですが、良い現場を見ることができました。杉山さん自身ビッククライアントの仕事を多く手がけていましたし。けれど「何か違う」というものをすごく感じていて、技術的なことには興味を持てなかったんです。
<br />
私の通った専門学校は、いわゆる芸術写真の学校だったんです。当時、重森弘淹（故人、写真評論家）が校長をやっていた東京綜合写真専門学校というところで、どちらかというとコマーシャル等の写真には否定的でした。自分も芸術写真の方に入り込んでしまっていたので、仕事の写真は「すごくつまらない写真撮っているなぁ」と思っていたんです。
<br />
実家に戻って、コマーシャル写真の仕事に携わることができるとは思っていませんでした。たまたま縁があり市内のコマーシャルスタジオを紹介してもらって、そこに12年勤めました。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─「何か違う」と感じていたのに、カメラマンの仕事を続けることに抵抗はなかったのでしょうか？　その後、意識の変化はありましたか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">趣味の、自分の写真は撮り続けていました。当時、仕事の写真はちょっと下に見ていたんです。しかし、ある撮影の時に、デザイナーが並べた通りに撮影した後、もっと良いものがあると思って同じものを窓際で撮りました。クライアントが求めている写真が一番良いわけですが、自分の中の表現で撮影した写真が意外と評判が良くて、私が撮った写真で人に喜んでもらえるんだと、その時に感じたんです。それから物撮りとかも面白くなりましたね。気付くのが遅いんですけど（笑）。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─仕事の写真も面白いと思えるようになって、独立なさったんですね。具体的なきっかけはありましたか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">子供のお宮参りの時に、写真館で写真を撮ってもらったんです。知人のカメラマンで、すごく体調が悪くて仕事もしていなかったんですが、そんなこと知らずにお願いしたら引き受けてくれました。
<br />
コマーシャルのカメラマンはかなりのコマ数を撮るけど、写真館のカメラマンは撮っても3、4カット程度。体調も悪いので休みながらの撮影でしたし、正直「これで大丈夫なのかな」って思うようなものだったんですが、送られてきた写真のできがすごく良かったんです。初めて写真を撮られる立場になって、果たして自分の撮っている写真は人のためになっているのか？とすごく考えまして…それがきっかけですね。

<br />
仕事の写真においては「写真がいいね」と言われるより、「写真のおかげで売上げがあがった」とか「評判がいい」と言われる方が私としては嬉しいんです。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─『日和*hiyori』の表紙でポートレートを撮影していますよね。雑誌の表紙だとロゴが入ったりしますが、そういうものは意識して撮影しているんですか？　また、撮った写真をデザイナーが料理していくことについて、口を出したくなりますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">意識はもちろんあります。一番最初に撮った時「ロゴを入れるところがない」と非常に怒られまして（笑）。自分ではロゴを入れるところを意識して空けているつもりなんですが、人物の場合どうしても寄ってしまうので。
<br />
写真の使い方に関しては、基本的には任せます。ただ、前もって言ってもらった方がいいです。こういう撮り方がある、と提案もできますし。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ディレクター的なことを求められることはありますか？　都会と比べ、地方ではひとりで複数の役割を持たなくてはいけませんよね。</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">『日和*hiyori』の表紙の場合は、撮影場所以外何も決まっていない場合が多く、どういう風に撮るかは基本的には私次第です。前号は寄っていたので今回はひきましょうか、という程度の意見はもちろんあります。
<br />
複数の役割を負担することは抵抗ないですね。
<br />
地方だから写真のレベルが低いとは思っていません。確かに、人の関わり方は違うとは思います。東京だって、すごい仕事もありますがそれはほんの一部で、今地方で仕事している私たちと同じような仕事をしている人もすごくたくさんいるのかなと感じています。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─人物撮影する時の、被写体との距離感やコミュニケーションのコツはありますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">口で撮る（しゃべりながら撮影する）人が多いですが、自分はあまりしゃべらないですね。基本的に、きれいに撮るということはそんなに難しいことではないと思っています、テクニック的には。
<br />
自分としては、いつもと違ったところを出してあげたいな、という思いはあります。メイクって自分のクセがあるから決まった顔になりがちですけど、メイクさんにメイクしてもらうときれいに仕上がる。それと同じことかもしれないですね。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─写真で表現することにおいて、こだわっている点はありますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">コマーシャルの場合は、クライアントの求めるものをきちんと理解できるか、ですね。抽象的な言葉で表現される場合も多いですし、撮影現場では細部にこだわりすぎて、本当に表現しなくてはいけないことを忘れがちになります。ほかにはテクニック的なことですが、例えば料理の撮影でランチなのかディナーなのかで撮り方や照明も違いますし、たくさん販売したいとか、高級感を出したいとか、そういうものでも違います。時代感とか、今感とか、そういうものも求められますしね。そういうものを把握するために何か特別な勉強をしているわけではないです。肌で感じるものだと思うので。

<br />
自分が趣味で撮る写真は、好きなようにやっています。できるだけ撮るようにはしてますね。以前は“作品は作品であるべきだ”と考えていたんですけど、最近はあまり気にしていないんです。（高飛車な意味ではなく）俺が撮ったから俺の作品なんだよ、というような感じ。昔ほどとんがっていなくなったのかな。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─WEB用の写真の需要は増えていますか？　紙との違いは意識されているんでしょうか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">基本はまだ紙ですが、WEBでも使うことが多いです。紙とWEBでは、処理が違うということはありますが、撮影自体は変わらないです。ただ、小さくなる場合が多いですよね。最近はWEB上で拡大して利用する場合も多いので、高い解像度が要求されたりもするようです。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─自分の写真をWEBで公開することに抵抗はないですか？　カメラマンにとってWEBはどういう存在なのでしょうか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">全くないです。むしろやらなくてはいけないと思っています、営業的にも。個人作品として、WEBで作品を公開することにも、全く抵抗はないですね。<br />

ホームページで写真の受注をしているところもたくさんあるじゃないですか。そこまでやるつもりはないんですが、名刺代わりという部分はあるので、やらなくてはいけないですね。最初に仕事に行く時にはブックを持って行きますので、まだクライアントからサイトを見せてくれと言われたことはありませんが。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─デジカメが普及して、一般人でもかなりいいカメラを持っています。プロとアマチュアの違いって何ですか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">例えば、自分でスノーボードをやっていて、スノーボードが好きで撮影している人には、私はとてもかなわないです。感じ持っているものだったり、スノーボーダーが何を求めて、どういう写真がかっこいいと感じるのかということをすごくわかっているから。そういうものを、私たちは撮れないんです。
<br />
仕事の写真におけるプロとアマチュアの違いは、きちんとものを正確に表現できるかどうかだと思います。
<br />
現在、カメラマンの需要は少なくなってくるとは思います。ハードもソフトも良くなってきていて、撮影した写真を後処理で整えることができるようになってきていますから。お金を払って写真を発注していただけるようになるかどうかということが、これから写真で生計を立てていくためには必要なことだと思います。それはすごく意識しています。下手したら、使っているカメラ、一緒ですからね。そういうのもあって、バックタイプのデジタルカメラを導入した、というのもあります。バックタイプの画像は次元が違うくらい画質が違いますからね。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─仕事における撮影はクライアントから被写体を指定されることが多いと思いますが、個人的に今後撮りたい被写体はありますか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">今住んでいるところをちゃんと撮りたいという気持ちはあります。写真は都市文化だから、東京とか、パリとか、ニューヨークでしか成立しないものだという先入観がありました、10年ほど前まで。1995年に、学生時代、お金がなくて行かれなかったパリ写真月間にいきました。写真を見ながら街をまわっていくうちに、写真を表現として伝えることは長野でもできるんじゃないかと気がついたんです。考え方が変わって、吹っ切れましたね。
<br />
長野は風光明媚なところが多いので写真を撮っている人は多いですが、そういう写真ではない街の写真を撮りたいですね。少しずつ撮り始めてはいるんです。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─最後に、村松さんが運営に携わっている電塾について教えてください。</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">5年くらい前に独立してすぐ、デジタルカメラを買いました。Photoshopは前の会社でもバージョン3くらいから使っていたので、結構古いです。ただ当時はデジタルカメラがなくて、フィルムをスキャンしていたんですが、それが嫌だったんです。カメラマン的にいうと、ポジの段階は完成形だからそれをいじるという感覚がわからないし、やりたくなかった。だからPhotoshopはほとんど使っていなかったんです。
<br />
前の会社時代からデジタルカメラを早く入れた方がいいというのは感じていたので、頼んで導入後、そのカメラで撮影された画像を見てから可能性というか、たとえば、古いレンズの味も処理することによってデジタルカメラで表現できちゃうのかなと思ったんです。それからかなりデジタルにはまりました。
<br />
独立して初めて買ったカメラがコダックのDCS760でした。導入の決め手はドライバーソフトの出来の良さでした。さぞすばらしい画像が出るかと思ったのですが、当時の画像はPhotoshopでの処理が必須だったんです。一日撮影すると夜寝ずに画像処理をしていましたね。若いうちは良いけど、これを続けていたらいつかは体を壊すなって思いました。
ただ、周囲に比べるとデジタルカメラの導入が早かったので、画像処理の自信はありました。
<br />
たまたま長野で電塾の勉強会があって参加したら、高いと思っていた自分のレベルが全然昔のレベルで、もっと楽できる方法があるということを教えてもらったんです。初期段階はすごく勉強していたんですが、ある程度になると力がついたと思い込んでいただけで、全然そんなことなかったんです。電塾は毎月やるというので、毎月勉強に行くようになりました。長野でやり始めて3、4回目から参加しています。勉強会の内容はガツンと頭叩かれたような感じでしたね。そのうち運営委員をやれということになった、という感じです。
<br />
毎月勉強会を開催していますので、興味があったらぜひ参加してみてください。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ありがとうございました。</em></p>

<img src="/interview/img/i_17muramatsu2.jpg" class="interviewph" alt="村松弘敏" />]]>
        <![CDATA[<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">Profile</em></h2>
<p xml:lang="en" lang="en">村松弘敏 [Hirotoshi Muramatsu]<br />
Photographer<br /><br />
url : <a href="http://muramatsu-photograph.com/" target="_blank">村松弘敏写真事務所</a><br />
<a href="http://www.denjuku.gr.jp/nagano/" target="_blank">電塾長野支部</a></p>

<p xml:lang="en" lang="en">
昭和39年：長野市生まれ、新潟県妙高高原で育つ<br />
昭和57年：東京工芸大学　工芸部　写真工学科（現　画像工学科）入学<br />
昭和61年：東京綜合写真専門学校　第２学部　入学<br />
昭和63年：青山スタジオ　入社<br />
平成元年：杉山芳明写真事務所　入社<br />
平成 3年：（有）アドフォート・トリム　入社<br />
平成14年 5月：同社退社　現在に至る
</p>

<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">主な撮影分野</em></h2>
<p>ガッチリとした商品撮影が得意。宝石から、人物まで、かなりオールマイティに対応します。短時間で大量の撮影にも臨機応変に応えます。特にモデル、人物撮影は現在長野で活躍する、どのカメラマンより場数を踏んでいると自負しています。
ロケからスタジオ撮影まで、幅広い撮影ニーズに応えます。</p>

<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">今までの主な撮影した被写体</em></h2>
<p xml:lang="en" lang="en">
レストランメニュー、会社案内、ホテル季刊誌、政府刊行物、社内報表紙、企業ポスター、百貨店DM、チラシ、ギフトカタログ、パンフレット、雑誌表紙等</p>

<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">Digital</em></h2>
<p>6年前から仕事上にデジタルカメラを使用。phase one製2200万画素デジタルカメラを導入。デジタルでの入稿にも数多くの経験を積んでいます。デジタル写真での印刷をはじめ、WEB上で使用するなど、疑問点、お問い合わせなどお気軽にご連絡ください。</p>]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>16 扇田孝之</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://idnagano.net/interview/2007/10/16.php" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://idnagano.net/cgi-bin/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=2/entry_id=328" title="16 扇田孝之" />
    <id>tag:idnagano.net,2007:/interview//2.328</id>
    
    <published>2007-10-03T11:12:25Z</published>
    <updated>2007-10-04T05:10:51Z</updated>
    
    <summary></summary>
    <author>
        <name>id=Nagano事務局</name>
        
    </author>
            <category term="地域研究家" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://idnagano.net/interview/">
        <![CDATA[<h5><img src="/interview/img/i_16oogida1.jpg" class="interviewph" alt="扇田孝之" /></h5>
<div class="profile"><p xml:lang="en" lang="en">東京から大町に移住して30年間。ご自身の体験を基に田舎暮らしについてまとめ<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4768469221/idnagano08-22" target="_blank">『素朴だけでない　田舎暮らしの馴染み方』</a>を出版した扇田孝之さん。現在も大町市簗場にて山荘を営みながら、長野・東京・海外と幅広く活動し続けています。人・情報・地域と多様なネットワークを培った扇田氏ならではの広い視野と観点から、長野について語っていただきました。</p>
<p xml:lang="en" lang="en">インタビュアー／id=Nagano　写真／瀧内 貫</p></div>


<p xml:lang="en" lang="en"><em>─扇田さんについて教えてください。</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">東京生まれの東京育ちです。1978年に大町市の簗場というところに住まいを移して、それ以来ずっとここで暮らしています。高校二年生の時に「学生村」の制度を利用してたまたまこの地を訪れたのですが、この場所も宿泊していた民宿も気に入って、７年ほど、毎夏通いました。大学院に入ってから、じっくり腰を据えて地域社会の在り方をを研究してみたいと思って、１年間この地域で生活を始めました。そしたら近くに別荘地が開発されると聞いて、友達や知人をまわって一口20万のお金を700万程度集めました。来たら泊めてやると（笑）。親や銀行からお金を借りて今の山荘をつくって、それを糧にしました。その間、東京で短大の先生をやっていたのでここから通ったり勉強会や研究会に出たり、山荘の経営をしたり、という具合です。<br />
<br />
短大講師は１年でやめて、それから２年ほど、今まで得た知識は一度全部捨ててしまおうと思って専門書の類は一切読まないことにしました。テレビも見ず一日中ラジオを聞いて、それで地名や地域など、何となく長野の地理などがわかってきました。夏と冬の観光客だけでは生活も充分ではないということもわかり、地元で生活していくための基礎体力と筋肉をつけなければと、山林労働、やプロパンガスの配達の日々
。<br />
<br />

その頃、一つの転機がありました。僕は憲法学と法律哲学の勉強をしていたのですが、憲法学会に所属する若い講師や助教授が「扇田さんは信州の涼しいところにいるんだよね。夏合宿をやりたい」と言ってきました。日本中の大学から憲法学者が70～80人集まり、4日間ほど我が家近くのホテルで研究会を開きました。それを聞きつけた信濃毎日新聞の方が取材にきて、僕の経歴を知って、何か書いてくれませんかということになった。それが切っ掛けとなって、文化欄で足掛け5年ほど連載をするようになりました。<br />
<br />
一方で、白馬村に当時『小さな村の壮大な選挙戦』ということで全国的に話題になったことがあるのですが、当選した横沢裕さんという村長が友人の教え子だったということで、個人的な付き合いができました。そんな頃、友人のスキー好きなフランス人女性の外交官が日本に赴任してきた。「信州にスキー場ある？」というので我が家に来たのですが、「こんな小さなスキー場じゃやる気しない」という（笑）。そこで、白馬の八方を紹介しました。<br />
彼女は八方のスキー場を非常に気に入り、シーズン何回となく訪れました。二年の赴任を終えて帰る時に「せっかくだから面白い交流をやりませんか」という話になりました。アヌシー（オートサボア県都）という街で、冒険の記録を主題にした映画祭を始めるという。どちらもスキーと登山が盛んだし、交流してみたらということで、国際冒険映画祭を白馬とフランスで交互でやることになりました。僕が日本側のプロデュースを担当し、85年から96年まで行いました。<br />
<br />

このような経緯で、地域社会とはいったいどのようなものか、国際交流はどういうもので、パートナーになるとはどういうことだとか、そういったことを実践しながら今日に至ったわけです。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─扇田さんの著作『素朴だけでない　田舎暮らしの馴染み方』に出てくる象徴的な言葉「時速4キロの文化と時速50キロの文化について教えてください。</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">一冊にまとめようと考える中で、どこにいても最先端の情報が瞬時に入ってきて、農業主体の国ではなくなってしまった今の社会において、旧態依然たる、「都会・田舎」という切り口では「地域」のあり様が上手く説明できない。いったい何だろうと考えていたころ、観光関係者が「これからは人間性を取り戻すんだ」とか「癒しの場だ」と言い出し、“歩くスピードで楽しめるまちづくり”というのが大事なのではないかという話が出てきました。それが要するに時速4キロの文化なのですが、歩くだけの楽しみの一方で車があり、最先端の文明の利器もたくさんある中で、ただ昔のようにすればいいのか…それがひとつのヒントになりました。<br />
<br />
500万年前から今日まで延々と続いてきた時速4キロの文化というのは、人間が動物である限り変わらない、永遠に続くものです。 18世紀以降何が一番大きく変わったのかというと、機関車のような動物としての人間の能力を遙かに凌駕するスピードや、何トンもを持ち上げる文明の利器などができたことです。現代は、そうしたすばらしい機器類を僕達庶民が普通に稼いでいるお金で自由に使える時代になった。これが時速50キロの文化を蔓延させたのです。<br />
ですから、これからは「時速4キロの文化」と「時速50キロの文化」との共創（きょうそう）の仕方を考えていくことが重要なのではないかと。時速4キロ、50キロという切り口は、現代の、これからしばらくの未来の社会も含めて、人間の活動を考えたり地域づくりを考えたりするには、一つの有効な切り口になると思いました。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─情報化社会やインターネットは、時速50キロの文化よりもより早いイメージがありますが？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">ITだけを取り出してみると、一瞬に時空を乗り越えていますよね。距離も空間も問題にしていない。けれども、例えばインターネットを使って買い物をした場合、欲しいという情報は瞬時にお店に届くけれど、物は一瞬では届かない。自分の欲し商品が、実際に移動して手元に届くという状況と相まって初めて、インターネットで情報が瞬時に届くという役割が意味を持ちます。<br />
<br />

ITというのは限られた部分で瞬時に何かするという意味においては非常に大きな力を持っていますが、さらにそれが飛躍発展しているのは、その背後に時速 50キロの文化が整備され（商品が運送会社のネットワークで素早く届くということ）、さらに時速4キロの文化が持つ情報の大きさが錯綜して、初めてITという社会が大きく広がっているんだと考えた方が良いのではないかと思います。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─最近“田舎暮らし”という表現をよく見かけますよね。都会から田舎に移り住むと、ギャップを感じると聞きます。時速50キロの人たちが時速4キロに溶けこむコツはありますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">田舎は時速4キロだけの社会ではないし、都会は時速50キロだけの社会ではないんです。今の日本という社会は、田舎であろうと都会であろうと基本的には同じ。都会で経験した面白いこと、つらいこと、人間的なトラブルは、どんな田舎で生活しても必ずあります。そう思ってくれば、違いなんて何にもないですよ。<br />
<br />

あとは人口が少ないから、少ないなりの物・キャパしかないという違いがあるだけです。それを昔ながらの「田舎は…」という言い方をしてしまう。そうすると田舎は特別な人種がいて、都会にいる私がそこに住むにはどうしたらいいかしら？みたいな話になってしまう（笑）。まあ、住んでいる人間の数や、そこで消費される金額の多寡とか、そういうものによってインフラはある程度低くなったりしていることはあります。それに対して自分がどう順応していくか、だけの話です。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─『田舎型の生きている場の中』で、上手く生活していくコツがあるのでしょうか？</em></p>

<p>人間はよく「仮面をつける」とか「本当の自分になる」というけれど、実はどの仮面も本当の自分ではないでしょうか。仮面の数をどのくらい持てるか。例えば、女だったり、恋人だったり、妻だったり、子供だったり、社会人だったり、遊び上手だったり…、一人の女性がいろんな顔を持っているんです。このうちのどれかが本当の私です、というのではない。全部自分なんです。その仮面をどこでつけてどういう風に振る舞うかということが、生きる、生活するということ。その仮面のつけ間違いをすると、「あいつは…」といわれるわけです（笑）。<br />
なるべく、「日常生活の場」「仕事の場」「社会生活の場」、それぞれの場を離しておいたり、くっついてもべったりくっつかせないようにして、自分が今この仮面をかけているということがゆったりできる状況があれば、一番ストレスがありません。3つが大きく重なっていると、仮面の付け替えが難しくなるのは確かです。<br />
<br />
北信流とか地域の会合における独特の挨拶があります。あれは「今俺はこういう仮面をかぶっているんだぞ」という発信、ふわっと仮面をかぶる儀式です。まわりの人も、仮面をかぶったその人の指示に従います。そうしないと、重なり合った地域で動けなってしまう。大都会はその3つが離れているから、いつの間にかそういうしきたりをしなくてもよくなってしまったのでしょうね。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─田舎にくると、密接にならざるを得ないという感じがあるのですが？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">僕らのようによそから来て、50、60過ぎて、地域で仕事をしないで、もしくは仕事をする割合が少ない状態で来た場合、この3つのすべてに所属いなくてもいいわけです。自分が楽しい範囲の中にいればいいんですから（笑）。自分が一番大事にしている場所はそんなに広くない。そこで自分がどうやって人と接していけるか、田舎も都会も生活の仕方は同じです。<br />
<br />

メディアが伝える“田舎”にも問題があります。“田舎”がメディアによって演出されているという部分も大いにありますよね。言葉の使い方によってもとらえ方は様々です。私は著書の中で「田舎型」や「都会型」という表現をしていますが、これは一般的にいわれている都会と田舎の地域差とは違います。<br />
<br />

人間は、時速4キロで何百年も生活をつくってきました。都会の中にも、古くから続く下町とか多くの地域には田舎型の生きている場があります。田舎だから密接、都会だからドライというものではなく、全国的に田舎型の「生きている場」が基本であって、これのない文化はありえないと思います。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─Webサイトの制作はメディア側でもあります。メディア側が田舎らしさを演出することもありますが、田舎側が田舎らしい田舎を演じることもある。メディアは、どんな風な在り方がいいのでしょう？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">時速50キロの文化の最大の特徴は、99％視覚情報であることです。その他の感覚は、時速4キロの文化ではほぼ平等。つまり、時速4キロの文化におけるメディアは、現場で見るか、人から話を聞いて想像する以外にありません。自分の知らないものは想像できないのが時速4キロの文化であり、そういう限界を意識していた時代です。<br />
<br />


ところが、時速50キロの文化は、特に映像というメディアが出てきた時に、見たことのないものでも見たことあるがごとく映します。受け取る側は、視覚以外の情報はいっさい遮断されてしまう。だから、田舎らしくというのはまさにいったとおりで、“らしくみせる”ということに腐心して他の物は全部切り捨ててしまうんです。事実の一部分だけを演出して見せる。時速50キロの文化におけるメディアの訴え方は、どの部分を強調して見せるかになる。それを受け取る側は、想像した情報と流された情報の中で自分が一番受け入れやすい物だけを受け入れてしまいます。常に本当の（トータルな意味での）情報は絶対に伝わっていかないのが、この時代のメディアの不幸なところですね。<br />
<br />

メディアにとって重要なことは、田舎といった時に何を連想する人が多いかを集中的にリサーチすること。その分析が正しいと、面白いようにひっかかっていきますよ。

</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─最近はメディアの切り取り方に疑いを持っている人も多いと思います。情報収集の可能性に、インターネットは有効なのではないでしょうか？扇田さんの情報収集はインターネットですか？情報を見極める術はあるのでしょうか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">最大公約数的な意見や、少数の意見を具体的に聞けるものとしてITは非常に役立ちます。昔、岸信介が国会で「声なき声を聞いている」と言いましたが、今の時代、まさに声なき声を聞くことができるのはITです。そこから何をくみ取るかは、閲覧する側の感性。情報を得たときに多勢の方にいくか、少数派の方にいくかはそれぞれの個性の問題になります。<br />
<br />


僕も、情報収集にはインターネットをよく利用しています。情報を見極める術…大学院でいろいろな研究生活する上で、ひとつの論文を書くために膨大な書物を読んできました。これが一つの訓練になっていますね。そういう生活を何十年もしていると、無意識のうちにつかみ取れる。何十年にもおける訓練の結果としての直感ですね。

</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─リゾートと街が混在する長野。長野県の特異性は？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">ミシュランが今年6月に初めてフランス語圏を対象にした日本の観光本を出しました。長野は一つ星として紹介されています。三つ星が富士山、東京、日光、高山、京都、奈良、姫路、宮島、それだけです。ミシュランに紹介されるだけでもすごいことなんですよ。<br />
<br />

長野について、まず紹介されているのが、『楢山節考』、姨捨伝説で、カンヌ映画際でグランプリをとった映画の舞台になったところとして紹介されています。二つ星で善光寺。お階段めぐりを詳しく紹介ています。他には戸隠、地獄谷、野沢温泉、松本、上高地、新穂高温泉。このくらいしか書いていません。これは本人たちが実際に行ったり来たりしての調査結果です。彼らが外国人の目で選んだ日本の、日本らしい文化があるところ、もしくは、今の日本を象徴しているところを取り上げています。長野らしい文化というのは、善光寺のお階段めぐり。もうひとつは映画として話題となった姨捨伝説のある地域、県。これが、フランス人の、世界的にもセンスがいいといわれているガイドブックの編集者が取り上げた長野ということですね。<br />
<br />


リゾート地でという話においては、「信州には人がいるけれど人脈が育たない」という言葉が象徴的だと思います。中央各界の偉い人たち。普通そういう人とは、地元の上流階級の人としか付き合うことはできません。ところがリゾートの場合、もっとも下々の人と、都会からきた偉い人たちが、ある種の非常に親しい付き合いになってきます。リゾートで生活するには女中さんや、小作のおじさん等が必要です。その人たちは、何十年もそこに雇われ、出入りするわけですから。付き合いで人間の良さはわかっているから、最下層級が都会の上流階級の人と付き合いが出てきます。自分でつくった人脈をいつ他人にとられるかわからないということになれば、閉鎖的な付き合いになってしまう。長野にはそういう人的関係というものが、他の地域と違うものとしてあると思います。<br />
<br />


今リゾートというものはほとんど成立していません。リゾートというのは一回の滞在が長く、それが長期にわたって繰り返されるものです。それがかろうじてあるのは軽井沢程度。あとはリゾートという雰囲気を出して、リゾートしているつもりにさせるような場所しかありません。これは別に長野が悪いのではなく、今の日本全体がそういう構造の中にあるだけで、仕方のないことなんです。とすると、観光客がずかずかと自分たちの日常生活のエリアの中に一泊二日などの短期で入ってきて、自分たちのテリトリーがいいように引っかき回され、なおかつ「観光客の方にはスマイルをもっておもてなしの心で」といわれると、余計に腹が立ってくる（笑）。今の長野は、リゾートが非常に成り立ちにくい状況の中で、リゾートで在らねばならないという思い込みで頑張っている、つらい状況だと思います。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─長野県におけるリゾート、明るい未来はあるのでしょうか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">長野市くらいの大きな都市になると、独自の産業などいろいろなものがあって、その中の一分野としての観光というものが成り立ちうると思います。ところが、人口が10万以下の中小の自治体が、これから様々な形で生産力を上げ地域振興を図っていこうとすれば、観光産業はある意味基幹産業なんです。<br />
<br />

例えば、大町市の観光消費額は146億円、延べ観光客数は287万人です。これは、年間186万円の消費をする住民が7863人も増加したことになります。あるいは、従業員数7863人、総生産高146億円の大企業ができたことと同じなのです。また、観光客はガソリンスタンドでガソリンを入れます。食事もします、タクシーも利用します。スーパーで買いものもします。見えない形で地域消費を挙げているのです。<br />
<br />


ところで、なぜペンションが流行したのかというと、1970年代初め、別荘開発ブームが起こった後、石油ショックで誰も田舎の不便な土地を買わなくなってしまった。困った関係者が「ヨーロッパのようなペンションをして、15年で返済したあとはご自分の住まいとしてのんびり暮らすのも、ペンションを続けるのも自由です」と宣伝して、30代前半と50代の都会生活者を引き寄せたのです。<br />
<br />

また、当時の東京では、畳の部屋に絨毯を敷いてソファーをおいてテレビを見る。あるいは、自分の部屋も洋風にしてベッドで寝たいというのが当時の若い人たちの憧れ。それを実現してくれたのがペンションです。だから都会の人間が競って来ました。ところが、ここ10年20年で自分たちの家の方が良くなってしまい、ペンションはチープ、プアーの象徴になってしまいました。<br />
<br />


また、スキー場から発達したリゾートは、今はだめです。スキーというものが遊ぶ一つの手段でしかなくなってしまった今は、旅館での接待の仕方や地域全体がどんな雰囲気になっているかが、非常に重要になってきました。スキー場で30年40年やってきたところは、いい従業員を置いて、きちんとした接客をして、お客さまからそれなりの対価をいただく、という意識があまりありません。しかし、スキー場がなく、客集めに必死になってやってきたところは、それなりにブランド力ができてきています。

</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─最後に、著作のご紹介や今後の活動を教えていただけますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">今初稿ができあがった本は、まだ題名は決めていないんですが、都会人へのメッセージということで、都会も田舎もないんだ、そんなことを気にするな、ということを、僕の過去の生きてきた過程から見えた都会と信州の田舎、それをいったりきたりさせながら書きました。また、『地域文化』で1990年代に3年間、いろいろな人と対談するコーナーをもらいました。飯田の人形劇を最初に仕掛けた人とか、バイオリンの鈴木真一さんとか、地名を研究している人とか。わずか3年の間に12人と会ったその対談ですらこれだけいろんな幅広い人がいて、多様な文化が息づいています。そういう本を今書いています。<br />
<br />


地元とのつながりでいうと『北アルプス山麓ブランド』という県の活動があります。そのプロモーション部会の部会長になりました。いかに地元に根付かせるかというのがひとつ。それと同時に、都会の消費地にどういうかたちで売り込んでいくかというマネージメントをしています。<br />
<br />


また、11月18日に安曇野市でシンポジウムをやりますが、その企画運営と、コーディネーターを行います。安曇野市ができて、今は10万都市。長野県で5番目に大きな街になりました。今まで町村でしたが、市としてどういうかたちの地域をつくっていくかがシンポジウムの主題です。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ありがとうございました。</em></p>]]>
        <![CDATA[<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">Profile</em></h2>
<p xml:lang="en" lang="en">扇田孝之 [Takayuki Oogida]<br />
地域研究家<br />

</p>
<p xml:lang="en" lang="en">地域研究家。明治大学大学院（法律哲学）修了。研究生活の後、78年に大町市簗場に移住、国内外の人・情報・地域の多彩なネットワークを培いながら実践・研究活動を行っている。特に、フランス・オートサボア県の四つ星ホテルを中心に多様なプロデュース活動を展開してきた。「ツーロン海洋冒険映画祭」（仏）国際審査委員、「日本文化デザイン会議」、「全国水の郷サミット」（穂高町）などの講師を務めた。<br />
</p>

<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">著書紹介</em></h2>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4768469221/idnagano08-22" target="_blank"><img src="/interview/img/4768469221.jpg" width="100" height="150" alt="素朴だけでない　田舎暮らしの馴染み方" /><br />
素朴だけでない　田舎暮らしの馴染み方</a><br />
(現代書館)</p>

<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">Information</em></h2>
<p xml:lang="en" lang="en">
<em xml:lang="en" lang="en">安曇野市の土地利用・景観を考えるシンポジウム</em><br />
平成17年（2005年）10月1日の合併で、安曇野市は人口約10万人、県下で5番目の人口規模の自治体に生まれ変わりました。それまで、豊科町、穂高町、三郷村、堀金村、明科町の5町村は、恵まれた自然風土と、各々の地域特性を活かしながら、緩やかに発展してきました。その先人たちの弛みない営みが、＜安曇野＞という日本を代表する風土、景観、個性を創りあげてきました。しかし、これまでの＜安曇野＞は、5町村それぞれの＜安曇野＞でした。<br />
<br />
ところで、今、私たちが日々生活している＜安曇野＞は、県下で3番に広大な平地ですが、そこに県内最多数の転入者が押し寄せ、膨大な住宅需要が生まれています。これに呼応し、増大する消費人口、労働力を追うようにして商業施設や産業施設の立地も進んでいます。そこで、「徐々に成長しつつ、変化していく時代」にふさわしい、安曇野市の発展を支える土地利用の「秩序」を官民一体となって創りあげていかなければなりません。<br />
<br />
10万人が集う安曇野市にふさわしい新たな＜安曇野＞を創造する手がかりを見つけだそうとするのが、本シンポジウムの趣旨です。
<br />
<br />

<strong>日時</strong>：2007年11月18日（日）<br />
13：00〜15：00<br />
<strong>場所</strong>：安曇野市豊科公民館<br />
<strong>主催</strong>：安曇野市<br />
<strong>企画運営</strong>：（株）KRC<br />
（有）コミュニケーション・デザイン研究所
<strong>演題</strong>：安曇野市の発展に向けた「個性ある地域づくり」のあり方を探る
〜地域景観と安曇野のブランド性に目を向けて〜<br />
<strong>出席者</strong>：庵 豊（松本大学教授）<br />
中村 麻美（画家）<br />
山田 桂一郎（スイス・ツエルマット観光局）<br />
涌井 雅之（造園家）<br />
<strong>コーディネーター</strong>：扇田孝之（地域社会研究家）
</p>
]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>15 タテタカコ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://idnagano.net/interview/2007/03/15.php" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://idnagano.net/cgi-bin/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=2/entry_id=293" title="15 タテタカコ" />
    <id>tag:idnagano.net,2007:/interview//2.293</id>
    
    <published>2007-03-01T01:01:43Z</published>
    <updated>2007-03-01T01:05:31Z</updated>
    
    <summary></summary>
    <author>
        <name>id=Nagano事務局</name>
        
    </author>
            <category term="Musician" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://idnagano.net/interview/">
        <![CDATA[<h5><img src="/interview/img/i_15tate1.jpg" class="interviewph" alt="タテタカコ" /></h5>
<div class="profile"><p xml:lang="en" lang="en">3月に公開される映画「アルゼンチンババア」の主題歌に「ワスレナグサ」が起用される、飯田を拠点とするシンガー・タテタカコさん。自身のことを「ワシ」と呼ぶタテさんは、ステージ上の緊迫感ある姿からは想像もできないぐらい屈託ない笑顔で話しをしてくれる不思議で掴み所のないオーラをもった人だ。常に自分自身を破壊しながら問いただすということを繰り返し、不安定さと自由さが交錯する中から滲み出てくる唯一無二の存在感と表現力が、タテさんの魅力ではなかろうか。映画のはなし、新作アルバムの話しについて伺った。</p>
<p xml:lang="en" lang="en">インタビュアー／坂田大輔　写真／ハラヒロシ</p></div>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─映画「アルゼンチンババア」の主題歌をタテさんが歌うのですね。おめでとうございます。どういった経緯で主題歌を担当することになったのですか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">ありがとうございます。東京でライブをやったときに、監督が聴きにきてくれたのがきっかけです。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─映画の主題歌づくりというのは、どんな感じでしたか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">原作と台本を交互に読みながらつくっていこうと思ったのですが、いいものをつくらなきゃ、つくらなきゃ、と思うとつくれなくて、あざといものしかでてこなくて、参りました（苦笑）。レコーディングのために、映画のためにって思うと、どうしてもよくつくりたいとか、いいことをいいたいとか思ってしまうのですが、それって結局ダメなんです。やっぱり根本的にはよく思われたいんですけど、でも、自分の中から出てきたものしか歌えないんですよね。誰かのためにっていう意識をなくして、自分のことに置き換えてみようと思ったときに、自然と出てきたものが曲になりました。監督からは特に「こういった曲で」というリクエストはなかったので、のびのびとつくることができました。 </p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─映画の主題歌といえば、カンヌで話題になった「誰も知らない」の挿入歌として「宝石」が使われました。映画と非常にマッチしていたのですが、「誰も知らない」と「宝石」の関係について教えてください。 </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">「宝石」は昔につくった曲なんですが、本当は封印したかったんです（笑）。今だからこそ、「過去の自分も自分でしょ」と考えて、矛盾していても昔の自分の歌を歌っていくことで、新たな自分を発見していくこともあるんですけど、そのときは、自信がなかったし、聴いてもらうのがいやだったので。ただ、以前是枝監督にお会いしていて、純粋に「また監督に会える！」って思ったので、ふたつ返事で「ありがとうございます」と言ってました（笑）。 <br />
映画のためにこの曲の続きをかいていったのですが、このときも映画のことで頭がいっぱいになってイライラしてもどかしくしていました。この曲をつくったときと同じように、白黒はっきりつけられない感じが、この映画の雰囲気とつながったのかな、と思います。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ありのままを伝えていく感じなんですね。</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">ひとりでいると閉じこもっちゃうんです。同じ考えが堂々巡りするような。音楽を手段として人とつながっていって、うちのめされて、ボコボコにされつづけて、本当の自分が見えてくるんです。映画に2回取り上げられて、純粋に嬉しい気持ちもあったり、とまどいもあったりしましたが、映画に関わらせてもらうことで吉本ばななさんや奈良美智さんにも会えたし、いままで出会えなかった人、出会えなかった景色に巡り会えたのは本当によかったと思います。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─対バンで様々なバンドと出会いますね。</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">ジャンル関係なく、いろんなアーティストと対バンさせてもらっています。いきなりガツンとやられる想定外のものをみせつけられて、「本当に音楽やってるの？」と突きつけてもらったりとか、そうやって出会った人とはつながっていきたいし、また一緒にやりたいです。おっくうでめんどくさがりで、できれば閉じこもっていたい性格なんですけど、自分を突き動かしてくれるのはそこでしか味わえないものであって、それを知ってしまったんです。感動すると体が泣いちゃいます。いろんなことを、どんどん知りたいと思います。 
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─タテさんは飯田を拠点に活動していますね。地元のアーティストという感覚がありますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">就職せずに、逃げ帰ってきたんです（笑）。「ちっくしょーいつか東京に戻ってやる」と思ってたんですけど。帰る場所は実家だけだったですし。はじめは地元や方言がイヤで、誇れる街とは思ってませんでした。でも、住み始めて、そこであった人とか、今まで見てなかった景色とか、外から取材に来てくれた人が教えてくれた飯田の街を知っていくうちに、あぁ、ないんじゃなくてただ見ていなかっただけだったんだと気づきました。いまは、自分の土地に帰ってくるとほっとするっ・・・というわけではないですが、あぁ「水がおいしい」って思ったりします。 <br />

でも、両方ないとダメだと思います。外に出て刺激を受けてボコボコになって自分を見つめ直す、地元ってそんな場所です。 
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─タテさんの一日の過ごし方ってどんな感じですか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">サイテーですよ（笑）。軽蔑されそう…（苦笑）。気がついたら昼だったとか。ツアーのほうが規則正しいです。普段は、いってみれば研修社員みたいなものですね。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─曲づくりはどうやっていますか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">夜とか…　ツアー中の、ライブが終わったあとのベッドの中とかですね。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─今回のアルバムの曲は、相当早いペースで作ったそうですね？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">いままでは何曲もストックがあったのですが、今回のアルバム用の曲、足りなかったんです。で、ヤベーヤベーと思っていると、結局「いい曲かかなきゃ」になって、全然ダメになる（苦笑）。全く新しいチャレンジですら、狙ってる、あざとい感じになっちゃいました。それを取り壊した瞬間、まったく排除できたときに、ほろほろとでてきて、それを歌にしました。 <br />
沖縄で録った「ワスレナグサ」は、レコーディング当日の朝になっても完成していなくて、焦っても焦ってもやらしい言葉しかでてこない状態だったんですけど、スタッフの方にひめゆりの塔へ連れていってもらって、そこで見た色濃く残る歴史に触れてかえってきたとき、頭の中にできあがってきたんです。「いま、録りたいです」っていってその勢いのまま録りました。本当はそのときの歌は仮歌だったんですけど、あとから撮り直しても、うまく歌わなきゃとなってしまったので、そのときのを使いました。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─タテさんのライブは、独特の雰囲気がありますね。お客さんとの関わり方で、意識していることはありますか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">そのままの自分でありたいのですが、ステージ上の自分は全く自然体じゃないこともあって、それ以上の自分やそれ以下の自分になってしまうこともあります。自分ひとり「最高！」と思って拳を上げてもお客さんの反応が違ったりとか、逆に最低と思っているのに反応がよかったり、いろいろです。そのままの自分を見てもらえるかどうか、歌いながら確認していって、お客さんも自分もちょうどフィットするというのが望ましいです。 
<br />
ステージの上は、ウソをつけない場所です。ネオンホールもそうですけど、魔物が住んでいるんじゃないかと思います（笑）。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─対バンの影響は大きいですか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">はじめてスーパーネオンに参加したときは、衝撃的でした。何でもアリなんだなぁって。自分はいままで何をやってきたんだろうって思いました。でも、最終的には自分は自分、自分のできることをやるしかないって思い知らされます。あの人になりたいと思ってもダメ。フワフワしてしまうだけです。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─今回のアルバムは、沖縄と高知でレコーディングされたんですね。その理由は？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">いままではずっと飯田でレコーディングをしてました。飯田でしかできないと思っていたんですけど、3回やったんだから他でもできると思って、外に出ました。沖縄と高知を選んだ理由は、いい出会いと、いい風土があったからです。友達に紹介してもらった沖縄のピアノの録音場所では、初めてその場所へ行って、ポンとピアノを押したんですよ。なぜだかわからないんですけど1音弾いただけで涙がでてきました。言葉で理屈で説明できないんですけど、ここでやりたいって思いました。高知ではスタッフとともに合宿状態で寝食をともにしてレコーディングにあけくれました。 
<br />
地元であっても他の場所であっても、どこに行っても逃げられないんだと思いました。今回のアルバムのジャケットは、高知の藤島晃一さんの絵画「狼の皮を被った羊」を使わせていただいてます。私が初めて「買いたい」と思った絵です。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─曲づくりでの違いはありましたか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">いっそう自分をみせつけられたと思います。はじめは自分には何もないんじゃないかと思ったり、どうしていいのかわからないこともあって、何度も問いただしたんです。そんなときの自分は、周りから見ても最悪だと思います（苦笑）。自分がどう思っているかという意志がスタッフになかなか通じなかったりもしましたけど、自分のやりたいことを尊重してくれたり、「はやく」と一言もいわずに待っていてくれたスタッフに感謝しています。 <br />
今回は、ピアノが生きているということを初めて知りました。場所とか向きとか車輪の向きとかで違うんですね。瞬間瞬間を見計らって一番いい、というところで録るようにしました。 

</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─タテさんが一貫して伝えていきたいことや生き方のスタンスありますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">一貫していることは、自分をそのまま出しつづけていくこと。伝えるということはとても難しいので、聴いた人の捉え方は自由におまかせしたいです。それから、自分に知らしめたい。知らないことは知っていきたい、出会っていきたい、大事なものは忘れたくないです。 
<br />
とにかく人と会うことが大事だと思っています。一人では感じられないことが、人と会うことでくつがえされる。音楽ってそのための手段じゃないかなと最近思います。 
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─Webは活用してますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">普段は知る手段がWebしかないので、けっこう見てますよ。気まぐれ日記は書いていて、人を意識していますけど、今の出来事を書いていこうと思ってます。それから、人はどうやって表現しているのか気になるので、他の人のサイトも覗いたりします。あの人のようになりたいけどなれない、その繰り返しです（笑）。
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ありがとうございました。</em></p>]]>
        <![CDATA[<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">Profile</em></h2>
<p xml:lang="en" lang="en">タテタカコ [Takako Tate]<br />
シンガー<br />
url :<a href="http://www.tatetakako.net/" target="_blank">Tate Takako on line</a><br /> 

</p>
<p xml:lang="en" lang="en">1978年7月24日生まれ、飯田市在住。<br />
国立音楽大学音楽教育学科卒。2001年から地元のライブハウス「キャンヴァス」でライブ活動をはじめ、長野市「ネオンホール」や東京「スターパインズカフェ」などでの活動が評判を呼び本格的な音楽活動をスタートさせる。<br />
2004年の夏に公開された是枝裕和監督の映画「誰も知らない」の挿入歌に「宝石が」起用され、映画出演も果たす。<br />
</p>

<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">Information</em></h2>
<p xml:lang="en" lang="en">
<em xml:lang="en" lang="en">New Single「ワスレナグサ」</em><br />3/7発売　1,200円（税込）<br />
<img src="/interview/img/tate1.jpg" class="newsimg" alt="ワスレナグサ" /><br />
映画「アルゼンチンババア」主題歌。劇中で口ずさむアンデス民謡「花祭り」の美しい旋律から起草された叙事詩。

<br />
1.ワスレナグサ<br />
2.泣き虫こよし<br />
3.道程<br />
</p>
<br />
<p xml:lang="en" lang="en">
<em xml:lang="en" lang="en">New Album「イキモノタチ」</em><br />3/20発売　2,500円（税込）<br />
<img src="/interview/img/tate2.jpg" class="newsimg" alt="イキモノタチ" /><br />
「ワスレナグサ」を含む全13曲入りフルアルバム。
<br />
1.～雑踏～<br />

2.身ひとつ<br />
3.手の鳴る方へ<br />
4.ワスレナグサ<br />
5.押し問答<br />
6.157<br />
7.混濁<br />
8.残影<br />
9.月<br />
10.雷<br />

11.頬杖<br />
12.道程<br />
13.やわらかい風
</p>


<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">タテタカコツアー2007<br />
「狼の皮を被った羊」</em></h2>
<p xml:lang="en" lang="en">
全国18ヶ所をめぐるツアーです。長野県内の公演は次のとおり。<br />
&raquo;&nbsp;4月18日（火）松本アレックス<br />

&raquo;&nbsp;5月19日（土）松本　まつもと市民芸術館<br />
</p>
]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>14 宮内俊宏</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://idnagano.net/interview/2006/12/14.php" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://idnagano.net/cgi-bin/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=2/entry_id=267" title="14 宮内俊宏" />
    <id>tag:idnagano.net,2006:/interview//2.267</id>
    
    <published>2006-12-28T02:36:34Z</published>
    <updated>2007-01-10T00:39:26Z</updated>
    
    <summary></summary>
    <author>
        <name>id=Nagano事務局</name>
        
    </author>
            <category term="Producer" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://idnagano.net/interview/">
        <![CDATA[<h5><img src="/interview/img/i_14miyauchi1.jpg" class="interviewph" alt="宮内俊宏" /></h5>
<div class="profile"><p xml:lang="en" lang="en">長野県内で初となるプロフェッショナルなレコードレーベル・ネーブルファクトリーワークスを率いる宮内俊宏氏。タテタカコ、ビーグルズといったアーティストを擁し、活動は全国規模で展開している。また、10月にオープンした長野発SNSサイトN[エヌ]をプロデュースするなど、音楽のみならず様々なアプローチで文化を開拓する仕掛け人だ。「閉塞感がある」と表現する音楽業界において、文化財として音楽を残していくこと、長野という土地に拠点を置くことなど、お話のなかから宮内氏が常々表現する「純度の高い」文化を創り上げていくためのベクトルが多々垣間見られる。</p>
<p xml:lang="en" lang="en">インタビュアー／id=Nagano　写真／ハラヒロシ</p></div>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─レーベルのお仕事をされているということですが、具体的にはどんな仕事をされていますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">具体的にはアーティストの発掘、育成から作品の商品化、ということになります。といっても、単にアーティストの作品を録音してパッケージにするだけではなくて、アーティストの表現をより強いものにするために日常的にコーチングを施したり、リリースのためのマネージメント、これはリリース時期やコンセプトを考えたり、サンプルや宣伝用のあらゆる素材を用意したり、けっこう細かい作業なんですが、とにかく、ひとりのアーティストを運営して行くために、あまり目に見えないコツコツしたプロセスがいっぱいあります。<br />
けど、今いちばんの懸案、アイディアを費やしているのは、閉塞状態にある音楽マーケットで、消費されて終わるのではない、普遍的な価値を持った音楽作品を継続的にリリースしていくためにどのような方法があるか、ということ、その方法自体を探す作業かもしれません。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─それはいったい、どのような作業なんでしょうか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">といっても、具体的な作業のことではないですね。経済や社会の様子をマクロに眺めながら、これからどんな世の中になってくのかな、どんな世の中だったらいいのかな、とか、音楽はどうあるべきなのかな、っていうことを、プロダクションやリリースマネージメントの実務の中にアイディアとして少しずつ注入していく、っていうことですね。<br />
日本の音楽産業は、特に1990年あたりからずっと、音楽の価値を貶める方向へ加速度的に進んで来ているんです。僕も一部そこに加担したということになるんですけど。首の挿げ替えだけしていれば事足りるような粗悪な音楽商品を次から次へ生産してきていて、ヨーロッパの音楽ジャーナリズムからは「クローンのような音楽ばかりが量産される世界でも珍しいエリア」という侮蔑的な評価をされて、けど、ほんとにそんな軽薄なものがマーケットを席巻していて、音楽の価値は限りなくゼロに近づいてってると思います。<br />
一足早くアメリカのタワーレコードが終わってしまったけど、これはデジタル配信の影響や価値観の多様化っていうような問題以上に、90年代以降、薄っぺらい消費されるだけの音楽ばっかり作ってきたことが大きな原因だと思います。あ、もちろん、全部が全部そうではなくって、ちゃんと真価のある音楽作品も生まれてはいるんですけどね、ごく一部で。<br />
それで、レコードが売れなくなって、今度はダウンロードでビジネスするんだっていう安直な幻想を抱いて、ここ数年、いろいろな方向からデジタル配信に殺到しているけど、実は、デジタル配信はぜんぜん伸びてないんですね。某最大手のダウンロードサイトも原価割れ。当たり前ですよね、公開されたWebのデータはもともとフリーが原則のものなんですから。逆に、音楽なんてデジタルデータで事足りるんだって、自分たちで目の色変えて肯定しているようなもので。 
ともかく、もうそろそろ、そんな所からは抜け出さなきゃまずいっていうところまで来てて、音楽や文化をそういう流れから掬って違う流れに乗せようと、そのための方法を考えています。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─その音楽の価値の下落を回避する方法というのはあるのですか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">まだ見つかっていません。根本的なところは、音楽を文化財として存在させる、ということになると思います。音楽はもともと消費材じゃなくて文化財だったはずなんです。だから、もう一度文化財として存在させるように転換を計ろうということだと思うんです。けど、そのために何をしたら良いのか、具体的な方法はまだわかっていません。<br />
文化財といっても、それが保護されないと存在できないような状況ではだめなわけで、その文化財がちゃんと生きていて、経済的に自立できる方法を持つ必要があるわけですよね？そのための方法を見つけ出さなきゃいけないと思うんです。<br />
まだその方法はわからないけれど、じゃあ、だからといって消費に寄りかかったままで行こうっていうのはもうダメなわけで、だから、ともかく、まずは消費物から離れた所に音楽を置いてみようと思って、今いろいろなことを試しているところなんです。そこで、ビジネスとして成立する方法をできるだけ早くみつけようという、難題といえば難題ですが。良い方法を見つけるのが早いか、資金が尽きて倒れるのが早いか、サバイバルですね。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─消費物から離れた所というのは、どんな所のことですか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">いろいろな言い方があると思います。たとえば、東京は消費経済の象徴的な場所で、巨大な消費の集積ターミナルです。東京だけじゃなくて、東京に向いた多くの日本の都市もそうかもしれない。ひとつの方向へ向かって殺到することや、目立つ、という方向でしか考えられないメディアやコマーシャルの世界も消費そのものだと思うし、今やニュース番組も情報を消費しているだけのように思えます。いろいろな局面で消費は世の中を支配しているんですけど、つまり、そんなものから離れた所ですよね。トップページに名前を出すために毎日毎日あれこれ、手を変え品を変え話題を作ろうとすることや、実質の無いところに三行コピーや粉飾イメージであたかも価値があるように見せることとか、世の中のあちこちで回避するべきいろいろな嘘っぱちが盛んに行なわれています。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─つまり、東京へ行かないとか、コマーシャルに関わらないとか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">いや、東京行きますよ。コマーシャルやテレビメディアを拒否するという意味でもなくて、アーティストの質感が損なわれないための準備ができたらタイアップもするし。けど、クリエイティヴなものが生まれて発信される場所としては、東京はあんまり魅力がないですよね。どっちかって言ったら出来上がったものが集まる見本市です。なので、その目的であれば最高に効率的な場所です。テレビメディアも、コマーシャルも、尖っててカッコイイものってほんとに少なくなってしまいましたよね。けど、制作者には良いセンス持っている人も確実にいて、そんな人達をひとりでも多く発見して、少しずつ、価値のあるコンテンツが増えて、そんな良いコンテンツに文化財としての音楽を提供できるようになれば、大きな伝達の手段が確保できるっていうことになります。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─レーベルの本拠地は長野県飯田市ですね。</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">これも消費物から距離を置きたいという感覚から来ていると思います。ずっと東京で音楽制作に携わっているうちに東京から発信することに飽きた、という部分もあるんですけど、もう、とにかく東京はもう新しい文化を生み出す場所ではないって、90年代の末期に思って。東京も、もう、特に80年代の半ばくらいから、東京に文化の匂いのする街は無くなってきてて、最後が80年代初期の渋谷くらいかな、日本に本物のパンク・ムーヴメントが発生した唯一の時期で、まだ何か生まれそうなかんじがしてたのは。だから、もう今では壮大な消費の実験場っていう、地球を擦り減らして行くようなことしかできない街になっていて、煩わしい嘘っぱちが毎日毎日山ほど積み上げられるし、今ではとうとう六本木ヒルズみたいなものが象徴になっちゃって。こんな下品な街ではクリエイティヴな精神が住みつくことはできないなって。<br />
それで、そういう場所から遠く離れてて、個性的なアーティストが生息できる余地があって、イメージのきれいな場所、ということで長野があって、その長野の中でも更に辺境であるということで飯田なんです。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─様々なミュージシャンやアーティストの卵の発掘というのもお仕事の一つだと思います。宮内さんがこの人ならいけるというポイントってどういうところですか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">主に、表現する本質を持っているかどうか、個性的な表現に結びつく素養を持っているかどうか、ということです。それは、そのときに行なっている表現そのものを判断するのではなくて、その個性が最大に影響力を発揮した時に表現としてどんなことが起きているのか、ということを想像して判断します。<br />
一方で、その時に流行っているフォーマットやスタイルを上手に取り入れている音楽はまずダメです。その時点で既に誰かより後ろにいて、しかも、そういうスタイルに殺到する人口というのはとても多いので、その群れの中で競っているうちにトレンドが通過してしまってダメになってしまうことがとても多い。<br />
だからとにかく、まずは個性です。それと、表現しようという強い動機があって、自分の表現を鍛錬しようという姿勢があること。このあたりがまず一番最初に検証するべきポイントだと思っています。そして、その個性がどんな表現に結びついたら影響力を発揮するかということを想像できるかどうか。それがリアルな形で想像できればもうほぼOKです。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─それは想像通りに行くものなんですか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">想像通りの表現になるかどうか、ということでいえば、ほとんどの場合はそうなります。目利きの能力とコーチングの能力の問題なのですが、まず、わりと正確にその人の潜在的な能力や指向を推測できる自信はあります。それに沿って、そのアーティストの面白い部分、武器になる部分を適切なコーチングによって伸ばして行けば、ちゃんと新しい尖った個性的な表現が完成するはずなんです。大切なのはコーチング。日本の音楽制作でも、コーチングという考え方がもっと発達するべきだと思っています。 
日本では多くの場合、ヒットの法則とか、こんなかんじだったら売れるかもしれない、今売れてるのはこんなだから、とか、そんな程度の根拠であれこれひねり回されて、そのうちに自分が何をしたいのかわからなくなってしまうことがとても多いです。センスの悪い幼稚な制作者がレコード会社の社員としてアーティストと作品を管轄していることが多いから、よっぽど強い才能と幸運に恵まれないと、アーティストとして自分の表現を全うできる人はほとんどいない。けど、そうではなくて、制作者側がその表現の本質、個性を理解して、その個性が最大の影響力を獲得するようにコーチングするっていう考え方が標準になれば、もっと多くのアーティストが豊かな表現を実現できるし、クローンのようなアーティストが次から次へ産出されるっていう気持ち悪い事態から脱却できるはずなんです。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─なによりも個性ですね。これまでに出会った人で衝撃を受けた人はどんな人がいますか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">いろいろな人がいろいろな形のショックを僕に与えてくれていて、それはもう、ほんとに大勢いて数えきれないです。逆に言うと、特別に衝撃をもたらした人というのは、どうだろう、いるのかなあ。<br />
そうだ、最近、遠藤ミチロウさん、すごいと思いましたね。もう、とにかく、表現の塊。パフォーマンスだけじゃなくて、すべての事象に対する姿勢が素晴らしく大きいんです。あとはどうかなぁ、すぐには思い浮かばないですね。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─タテタカコさんはどうでしたか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">あ、あの人は衝撃でした。すみません、いましたね、衝撃。<br />
彼女は数少ない真性の表現者のひとりだと思います。普段はふにゃふにゃしたゆる〜い女の子なんですが、おい、おまえ大丈夫か?みたいな。けど、表現者としての意志の強さとか、才能は類稀な人だと思います。それに、自分の表現に対して常に「これで良いのか」という視点を持っていて、常に表現を鍛錬している。けして器用にあれもこれも作れますっていう人ではないけど、鍛錬して鍛錬して、研ぎすまして作り出してくる作品やその表現は素晴らしいですよね。その個性的な視点とか、妥協しない斬新さとか。しかも、単にアヴァンギャルドに突っ走っているわけではなくて、ちゃんと多くの人に受け入れられるポップなセンスもかなり適切なラインを押さえている。本当に希有なアーティストだと思います。ある意味、長野のアート感というのを象徴できる才能なのではないでしょうか。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─長野の文化についてどのように見ていらっしゃいますか？長野の良いところ、面白いところは？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">アヴァンギャルドな表現をする人達が多く潜在しているエリアだと思います。僕も長野出身、飯田なんですけど、最近までここがこんなところだなんて思わなかったですね。タテタカコが飯田のライブハウスで発見されたのが2001年、情報として東京に届いたのが2002年。それまではまったく着目していなかったんですが、それ以降、長野県に注目し始めたら、面白い、個性的な表現をしている人達があちこちにいる。特にネオンホール周辺から受けた印象が大きかったんですが、当時の僕の中のイメージでは、京都と似たようなトーンを持つエリアでした。<br />
京都はもう既に文化の発祥地としてシーンは成立していて、そのためのプラットフォームもしっかりと持っている所で、長野は、同じようなアヴァンギャルドな表現者が生活できている場所なんだけど、それがあちこちに散在している状態で、シーンとして形成させたり、外に伝播してゆくためのプラットフォームがない。それで、京都と長野を行ったり来たりしながら、地下水脈で結びつけるような関係を作りながら、長野に文化発信のためのプラットフォームを作ったら面白いことになるんじゃないかと思ったんです。<br />
そもそも長野県という地域自体アヴァンギャルドで、日本全国の県の中で唯一平均標高が千メートルを越えていたり、北信、中信、東信、南信、それから木曽、５つのエリアに完全にアイソレートされてて、それぞれ独立した文化を持って、ぶつかったり、往来したり、アイディアの交換があったりする。これは他の県にはない性質で、突然変異的に新しい文化が生まれる要因になりうる、面白い要素だと思っています。プロモーションは展開しにくいけれど、良いですよね、そんな特徴があるって。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─N[エヌ]がスタートして、県内外からかなり注目を集めています。ここまでの感触はどうですか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">とても困難なことを始めてしまった、というのが正直なところなんですよね、すみません。もちろん、立ち上がりで注目を集めることができて、その分野の人達から良い評価を得られたというのはとても嬉しい状況なんですが、逆になおさら、大変だぁ、っていう出来事でもあるんですね。基本的なコンセプトがしっかりしていて、サイトの構成やデザインワークが優れていて、それで良い評価を得られたと思うんですが、実は、目指しているクオリティーをクリアするための体制が準備できてスタートしたかというと、決してそうではないわけですよね。いってみれば、なんとかアイディアでアドヴァンテージを得て、チームの献身的な努力によって、混乱しながらもなんとか進んで来ているっていう状態だと思います。問題は、高いエネルギーの要求されるこれからのプロセスをどんな方法で乗り切ってくか、っていうことですよね。とても大きな課題であり、是非とも乗り越えなきゃいけない課題です。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ユーザーの反応などから、今後の展開についてのヒントは得られましたか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">まだ何をどうしてったら良いか解析できてはいないです。たとえば、mixiなんかも、コミュニティーが活発に動き出すまでだいぶ時間がかかったようですが、長野県全域、という範疇の中で、より有益な情報交換が行なわれるためにどのような仕組みが必要なのか、まだ今のところ、いろいろ試験的にアクションしながら、あれこれ考えているところです。早くいろいろな工夫をして、参加してくれたユーザーが楽しく居られる場所にして、面白い生の情報がどんどん集まるようにしたいですよね。<br />
ただ少なくとも、スタート直後にこれだけ大勢の方が参加してくれたっていうのは、やっぱりここで、こういう機能や性質を持ったメディアが要望されていたということで、まず最初の一歩は間違っていなかったということですよね。なので、その方向性を信じて、キープして、期待感を失速させることがないように、これからいろいろな努力をしなければいけません。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─Webは、宮内さんにとってどんな存在ですか？どのように利用して、何を期待しますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">必要な量の、膨大な量の、手に入れたい情報をあっというまに手に入れることのできる最終兵器ですね。実生活や仕事上のことでも、学術的なレベルのことでも、遊びのことでも、もうWebはすべてにおいて欠かせません。先週、真夜中の路上でふとノートブックを広げてみたら、どこの電波かわからないんだけどネットワークを検知してインターネットに接続できたんですね。ユビキタスコンピューティングの世界が本当に間近に来ているかんじがしました。<br />
できれば、Webには人間にとって有益な、社会を幸せな方向に誘導できる知識や情報がたくさん蓄積されていて、それがユビキタス環境によって日常的にすべての人に供給される、すべての人が知的に充足できるような世の中になったらいいですね。 
</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ありがとうございました。</em></p>

<h5><a href="http://www.n-sns.jp/" target="_blank"><img src="/interview/img/i_14miyauchi2.jpg" class="interviewph2" alt="N" /></a></h5>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>関連リンク</em></p>
<ul xml:lang="en" lang="en">
<li><a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/feature/2006/12/_nex1_showcase_n.php" target="_blank">[N-ex1] SHOW CASE N を記録する 〜前編〜</a></li>
<li><a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/feature/2006/12/nex1_show_case_n.php" target="_blank">[N-ex1] SHOW CASE N を記録する 〜後編〜</a></li>
<li><a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/feature/2006/12/nex1_show_case_n_2.php" target="_blank">[N-ex1] SHOW CASE N を記録する 〜これも後編〜</a></li><li><a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/editors/miyauchi/" target="_blank">[N-gene]編集部ひとこと日記　宮内俊宏アーカイブ</a></li>
</ul>]]>
        <![CDATA[<h2 xml:lang="en" lang="en"><em xml:lang="en" lang="en">Profile</em></h2>
<p xml:lang="en" lang="en">宮内俊宏 [Toshihiro Miyauchi]<br />
ネーブルファクトリーワークス代表取締役<br />
url :<a href="http://www.navelfactory.jp/" target="_blank">Navel Factory Works on line</a><br /> 
</p>
<p xml:lang="en" lang="en">1960年、長野県飯田市生まれ。1980年代より音楽制作業務に従事。<br />
2003年10月、長野県初のプロフェッショナルなレコードレーベルを設立。<br />
2006年10月にスタートした長野県の地域SNSサイト・N[エヌ]の代表を努める。</p>
]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>13 小林玲子</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://idnagano.net/interview/2006/10/13.php" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://idnagano.net/cgi-bin/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=2/entry_id=245" title="13 小林玲子" />
    <id>tag:idnagano.net,2006:/interview//2.245</id>
    
    <published>2006-10-12T23:45:13Z</published>
    <updated>2006-10-12T23:48:43Z</updated>
    
    <summary></summary>
    <author>
        <name>id=Nagano事務局</name>
        
    </author>
            <category term="絵解き口演家" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://idnagano.net/interview/">
        <![CDATA[<h5><img src="/interview/img/i_13kobayashi1.jpg" class="interviewph" alt="小林玲子" /></h5>
<div class="profile"><p xml:lang="en" lang="en">郷土史研究において「長野に小林家あり！」といわれるほど著名な小林家・小林一郎氏（長野郷土史研究会会長）の妻で長野郷土史研究会幹事、歴史の町長野を紡ぐ会代表を務めながら、「絵解き口演家」としても活躍する小林玲子さんは、ご自身の毎日の活動を切り取ったブログ<a href="http://blog.livedoor.jp/naganoetokino1/" target="_blank">「小林玲子の善光寺表参道日記」</a>を公開中。情報収集力・フットワークの軽い取材力・更新頻度の高さ・密度の濃い内容と、ブログのメリットを活かして日々情熱的に更新されています。日々の記事が「小さいけれども、歴史の1ページ」として刻まれていくことを実感しながら更新を続ける小林さんにお話を伺いました。</p>
<p xml:lang="en" lang="en">インタビュアー／id=Nagano　写真／ハラヒロシ</p></div>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─これまでの経歴を教えてください</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">私の肩書きの「<a href="http://www.janis.or.jp/users/kyodoshi/" target="_blank">長野郷土史研究会</a>」は夫の父・小林計一郎が昭和33年（1958）に立ち上げました。現在の主な活動は機関誌『長野』を隔月発行、講演会の開催、史跡めぐりなどです。今年度平成18年の総会で、父に代わって夫・小林一郎が会長になりました。現在全国に2000名ほどの会員がいます。私は結婚当初から会の事務や運営を手伝っていましたが、最近は本格的に運営に携わっています。息子竜太郎の力も借りて若い方にもアピールしたいと新スタートを切ったところです。<br />
また「<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~tsumugu/" target="_blank">歴史の町長野を紡ぐ会</a>」は平成14年（2002）に夫と立ち上げた史跡案内の会です。歩く人が減ってしまった善光寺表参道を、歴史や伝説でご案内しようという趣旨の会です。「善光寺表参道七福神めぐり」の他、「伝説でめぐる善光寺表参道」「善光寺門前七天神めぐり」「善光寺門前七稲荷めぐり」など、様々なコースを独自につくってご案内しています。歴史を身近に感じていただこうと、ご案内の途中の寺社で伝説の語りや紙芝居の上演も行っています。また、善光寺や界わいの伝統行事も大切に守っていきたいと考え、皆さんに参加を呼びかけています。もう一つの活動が「絵解き口演家」です。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─「絵解き口演家」とは何ですか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">現在の私の活動のひとつで、昨年あたりから自分でそう名乗っています。自分で考えた肩書きなんです。<br /> 
「絵解き」とはお寺にある掛け軸になった御絵伝を、棒で指し示しながら語る（解説）ことです。お寺のいわれや仏教の教えなどを解説する絵解きは、江戸時代までは盛んに行われていました。 在家である私が関心を持ったのは、夫小林一郎が絵解きの研究・調査をしていたからなんですね。しだいに途絶えていく絵解きを、何とか後世に伝えたいと思ったのがきっかけです。始めたのは、今から14年ほど前のこと。最初に取り組んだのは、善光寺のいわれのお話「善光寺如来絵伝」です。その後、様々な絵解きを復興しました。<br />
在家ですので、宗派に関わりなくできるのが私の強みだと思っています。絵解きをしたい御絵伝があると資料を集めて、まず台本作りから始めます。お経はとても難しくて私たちには分かりません。ですから私は、自分が分かる言葉でお話しようと心掛けています。昨年には絵解きの<a href="http://www.hojodo.com/contents/DVD_CD/etoki.html" target="_blank">ビデオ・DVD</a>を方丈堂出版から出版しました。<br />
この善光寺周辺には、かるかや山西光寺と往生寺という2つの寺で、常時絵解きをやっています。最近、全国の絵解きを調査していて分かったのですが、常時やる寺は全国でも10ヶ寺ほどです。私たちの住む長野は、とても貴重な地域です。その大切な文化を地元の皆さんに知っていただき継承していくのも私の役目だと思っています。<br />
<br />
＜参考＞ <a href="http://www.janis.or.jp/users/kyodoshi/etoki.htm" target="_blank">絵解き（長野郷土史研究会）</a></p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─「<a href="http://blog.livedoor.jp/naganoetokino1/" target="_blank">小林玲子の善光寺表参道日記</a>」をかくようになったきっかけは？また、ブログで伝えようとしているメッセージはどのようなことですか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">「長野郷土史研究会」では、機関誌『長野』200号発行記念として、平成10年（1998）にWebサイトを開設しました。素人の夫の制作ですが、『長野』の総目次を入れたり、研究の一端である全国の一茶の句碑なども掲載しました。これによって『長野』のバックナンバーが検索できるようになり、会員以外の全国の方から注文をいただいています。 またメールマガジン版『長野』を平成13年（2001）から月１回配信しています。これは息子が担当していて、本会の行事だけでなく県内の歴史関係の情報などもお伝えしています。私のブログ「小林玲子の善光寺表参道日記」は、これまでの私たちの活動である機関誌・Webサイト・メールマガジンの発行の延長線上にあったのかもしれません。<br /> 
東京でシナリオライターをやっている息子、小林雄次は、以前からブログ<a href="http://blog.livedoor.jp/scenarioland/" target="_blank">「小林雄次の星座泥棒」</a>で自分の活動を紹介していました。日記風でありながら、自分の活動を多くの方に知っていただけるブログは、とても魅力的でした。 私も自分の活動の舞台・善光寺表参道を紹介しよう、と思ったら自然に題名が決まりました。大げさに何かを伝えよう、と考えたらスタートできなかったかもしれません。気軽に普段活動している事、感じている事を書こうと思って始めました。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ブログにアップするネタはどのように選択し、どのように取材していますか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">善光寺表参道を舞台にした私の活動を載せるのが原則です。その日その日に、自分の活動した事の中から書いています。歴史や史跡をお伝えしようと思って始めたブログです。でも町を紹介するには、多角度から捉えなければ全体の動きを伝えることはできません。これまであまり関心がなかった新聞の経済面も読むようになりました。 <br /> 
長野市の中心市街地活性化を担ってオープンしたばかりの「トイーゴ」ですが、出店店舗がなかなかWebサイトや新聞に発表されませんでした。でも求人広告を見たら出店する店舗が出ていました。そこで、ブログに掲載したら多くの方が訪問してくださいました。「長野グランドシネマズ」がオープンした時も、権堂パーキングを検索した方がたくさんいました。歴史とは違う方面から訪れた方が、歴史や史跡に関心を持ってくださったら嬉しいです。<br /> 
ブログを始めてから、自分でも「取材」という言葉をしょっちゅう使うようになりました。私一人の力は微力ですが、マスコミにはできないこともできるのではないか、と最近は思っています。今、表参道は1000年以上もの歴史の中で、最も大きく変化している時期です。過去の歴史だけでなく、私たちが生活している現在も歴史の一部です。ブログで取り上げた事が、将来役に立つ時が来るかもしれません。<br />  
写真も歴史を伝える手段の一つです。日頃から表参道を歩く時に、ネタになりそうなことを写真に収めています。ただ時間が経ってしまうと、その写真を探すのが大変です。やはりその時々に、取材とともに写真も撮るというのが一番です。<br />  
最近は載せたい題材が多すぎて困っています（笑）。アンテナを張っていると、ネタはいくらでもありますね。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ブログスタート時は毎日更新ではなかったようですが、毎日更新するようになったきっかけは？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">始めたのは昨年の12月ですから、まだ1年経っていません。実は書き始めた頃は毎日書こうなんて思っていませんでした。でも年が改まって、いろいろな行事があったり、町の大きな動きなどが始まって、「生きている町」を感じました。こんな大きな変化はこれまでの長い歴史の中でもなかったことです。これは書く事によって記録に残せるかな、と考えて、とにかく1年間は続けてみようと思いました。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─毎日書き続けることにより、ご自身の変化、または周りの反応などはいかがですか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">実はこれまで普通の日記でも、こんなに長く書き続けたことはありません。毎日書き続けてもネタが尽きない善光寺表参道は、魅力がいっぱいなのだと改めて感じています。 また続けてこられたのは、常に読んでくださる方がいる、と感じられるからですね。書き始めた頃は、家族は「なにも毎日続けなくても」という反応でした。でも、今では離れている家族も、周りにいる家族も、応援してくれています。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ブログをうまく書くコツはありますか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">全くの素人が気軽に始めたブログでした。今書き始めた頃のを読み返してみると、手探りで書いていたなと思います。固有名詞を出していいものか、内容をどの辺まで書いていいものかと、こわごわ書いていたような気がします。家族に「こんなこと、書いていい？」と、聞きながら書いていました。<br /> 
でも少し経つと、調べた事は何でもかんでも書かなければと、意気込みました。読んでくださる方のことは気にせずに、とにかく自分の記録ノートのようでした。今読んでみると、ずいぶん読みにくいですね（苦笑）。<br /> 
でも読んだ方から「調べる時に役に立った」と言われて嬉しかったです。ブログに書く事はきちんと調べて書いています。また、夫に必ず最初に読んでもらっています。歴史的なこと、年代のことなど、間違っているとすぐ指摘してくれます。これは私のブログの一番の強みだと思っています。<br /> 
最近は、大勢の方にご覧いただいていますので、読みやすさにも気を配っているつもりです。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─ブログの魅力とはなんですか？ </em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">私のこれまでの情報発信手段は、本や機関誌、新聞の連載、ラジオやテレビなどでした。どれも準備したり、発信するまでに大変時間がかかります。また他の方の手を借りなければ発信することは困難でした。でもブログはとても手軽に、しかも迅速に一人で情報発信できる手段です。また不特定多数の方にご覧いただくことができます。手軽に、敏速に多くの方に発信できるのがブログの魅力だと思います。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─巡回ブログがあったら教えてください</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">他の方のブログはほとんど見ていません。時々息子、雄次のブログを見て、そう言えば最近電話がないけれど、仕事は順調だなと、安心したりしています。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─書きつづけるコツがあれば教えて下さい</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">見ていてくださる方がいる、というのが一番の励みになっています。また最近では、家族もブログに載せる情報を提供してくれます。息子、竜太郎も、長野郷土史研究会や歴史の町長野を紡ぐ会に携わっていますので、写真を提供してもらっています。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─善光寺や長野に魅了されたきっかけは？そして今後、どんな活動をしていきたいですか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">この秋、結婚して30年を迎えましたが、その半分の年月は、存分に子育てに費やしました。絵解きをはじめたのが14年程前です。一番下の子の小学校入学が契機でした。その頃から地元の歴史や史跡にも関心を持つようになりました。<br /> 
長野は善光寺の門前町として栄えてきました。その善光寺は、地元の人々だけではなく、全国からの参詣者を迎えてきました。長い年月の間に億万の人々を救ってくださったお寺です。そして1000年以上も前から、参詣者と地元の人々が生き生きと交流していた門前町長野。学べば学ぶ程、知れば知る程、奥の深さを感じています。国語辞典で「門前町」と引くと、「善光寺における長野のような町」と書いてあります。「長野は門前町の代名詞」と言っても過言ではありません。<br /> 
長野には長い歴史があり、また人々の交流がありました。善光寺・長野の良さは、伝統を大切にしながらも、他の地域の人々やその文化を受け入れてきたという懐の深さではないでしょうか。今後も閉鎖的ではない自由な土壌で、新しい歴史や文化を造り出していける可能性を秘めていると思います。 
今、長い歴史の中で長野は大きな転機を迎えています。とかく人々は目先の変化やおもしろさに流されがちです。でもこれまでの歴史を知れば、100年後、200年後の長野の姿を思い描く事ができるはずです。小さな力ですが、そんな活動をしていきたいと思っています。</p>

<p xml:lang="en" lang="en"><em>─今後、どのようにWebを利用していきたいと思いますか？</em></p>

<p xml:lang="en" lang="en" class="interviewcomment">私がご一緒に活動している皆さんは、私より上の年齢の方が多いです。 Webの世界をご存知ない方がほとんどですね。知らない方に説明しようと思っても、異次元の世界の話を聞いているようなお顔をなさいます。<br /> 
実は平成13年に長野郷土史研究会の講習会で「インターネットで学ぶ長野県の歴史・文化財」を2回開催しました。パソコンの講習会ではなくて、こんな世界があるのですよ、ということを知っていただこうと考えたんです。でも関心を持った方はごくわずかで、とても残念な思いをしました。Webは人から与えられるものではなく、自分から積極的に関わっていかなければ何も始まらないと痛感しました。<br /> 
実は歴史を調べるのに、こんなすごい手段はないんです。最近、夫と全国に伝わっている善光寺の伝説を調査しました。これまでは本が中心でしたが、時間と手間がかかりますし限度がありました。でもWebの力は無限です。<br /> 
一方検索しても、なかなか載っていないのが地域の小さな歴史です。私のブログがそうですが「こんな行事がありました」「お店が開店しました」「閉店しました」という小さな記事が、今後歴史を調べる時に、多いに役に立つはずです。たとえば機関誌『長野』に掲載するために調査した時、かつてセントラルスクエアにあったスーパー「ヴィナス」の閉店や映画館の閉館などは、調べてもなかなか分かりませんでした。新聞には開店は載っていても、閉店は載っていないのです。かつてあった道路が拡幅されたり、建物が取り壊されてしまうと、それは人々の記憶の片隅に残るだけで、その記録は残りません。でも、小さな出来事一つひとつが歴史なのです。大変おこがましいかもしれませんが、今後私のブログだって、日本や世界のどこかで誰かに利用していただけるかもしれません。立派な研究だけではなく一般の人が書いた記録でも、利用してもらえるのがWebだと思います。他の町のそんなブログがあったら、是非読んでみたいです。<br /> 
でもその一方で、一人の方が間違えた情報を提供すると、それがどんどん広がってしまうというのもWebのこわさです。そう考えると、Webは気軽に書けますが、内容は正確さが大切です。<br /> 
とにかく私が利用している世界は、まだまだほんの一部です。でもブログを始めたことによってWebの世界が大きく広がりました。無限の可能性を持っているWebの世界。今後も受け身ではなく自分の方から、もっと知